「これが、『覚書』と衣装をしまっていた蔵です」
武光が案内したのは、光紀の実家、岩淵家の敷地の中でもひときわ目立つ、大きな蔵である。
白い漆喰の壁、屋根は瓦葺、分厚い扉の上に、家紋が掲げられている。
風変わりな家紋である。
中央の丸い花弁を持つ花から、蟹の鋏のように見えるものが三方向に伸びて渦を巻いている。
見た記憶のない家紋だ。
よく見ると、心なしか、あの指輪の入っていた箱に描かれていた「黄の印」に似ているようにも思える……。
光紀と真名、善巳、そして星美は、光紀の父の武光の案内で、事件の舞台となった蔵へと案内されたのだ。
周囲の庭木の繁茂具合もあってやや薄暗い庭の一角、古いが威風堂々たる旧家の蔵。
光紀の話によると、先祖代々色々なものが収集されているので、値打ちものの骨董品が唸っているそうであるが、何故か「黄の王神楽覚書」と「黄の王の衣装」、「黄の王の石笛」を盗んでいった犯人は、そうした骨董品には見向きもせず、黄の王関連の品だけに手を付けていたのだという。
「明らかに、盗人の目当ては『黄の王』関連の品ですよ。つまり、通常の盗みではありません。奴ら関連の盗難犯である可能性が極めて高い」
光紀の言葉が、誰の耳にも甦る。
「……蔵の鍵、新しいんですね」
真名が、ふと気づいて、蔵の扉に掛けられた鎖状の鍵を見やる。
「ええ。元々は別の鍵だったのですよ。もっと厳重な、特注品の鍵だったのですが」
武光は、手にしていた鍵で、チェーン錠を開く。
「しかし、あの時、壊されてしまいまして。どうやったのか、物凄い力で引きちぎったみたいに。で、間に合わせの鍵をホームセンターで買って来てつけているだけなんです」
なにせ、警察の捜査が終わらないうちに勝手なことはできませんからねえ。
武光は、チェーン錠を蔵の前に置く。
「面倒臭いッスねえ。気味の悪い話ッスし……」
善巳も嫌な気分になったようだ。
「ええ。本当にあんな縁起でもないものをわざわざ持っていくなんて。通して読めば命がないというのですよ。そんなものをどうする気なのか……」
息子は普通の物取りでないなんて言うし、我々としても、自分の家に伝わっているもので人死にが出たなんてことになっては困ってしまいますし。
どうしたものかと、途方に暮れているのですよ。
武光が、分厚い蔵の扉を開ける。
内部に外の光が差し込む。
埃っぽい、石床の内部。
けぶるような光の中に、何か骨董品の類が入っているのであろう、櫃や長箱のようなものが積み重ねられている。
奥に階段が見え、二階にもこうしたものが唸っているのだろうと予想がつく。
「普段、不用意に侵入してくるような者がいれば、警備会社に通報が行くはずなんですが……あの晩は何故か、警備会社に通報されなかったようなんです。装置の電源は入れていたはずなんですが」
武光が、入ってすぐのところの壁に取り付けられている、警報装置のようなものを指さす。
「失礼します、写真を撮らせてもらってよろしいですか?」
真名が要請すると、武光は快く応じる。
「古くて薄汚くて済みませんが……多少地元の警察の方が調べられた後は、特にいじっていませんので」
「いえ、助かります。失礼しますね」
真名は扉近辺、それに入ってすぐのところから見た蔵の内部の様子を、フラッシュを焚いて撮影する。
と。
「しかし、こちらにある箱なんか全部、骨董品なんですよねえ」
真名は、流石にジャーナリスト生活の中でも見た記憶もない骨董品の山に、内心で舌を巻く。
武光に代わって、光紀が答える。
「何でも、ここの家の代々の当主、こうした骨董品を集めるのが趣味の者が多かったそうでして。少しずつ集めたとしても、膨大な分量になったということらしいですね」
真名は、はあ、と溜息。
「……下品なお話になってすみませんが、こちらにあるようなものを全部骨董品市場に流したら、金額としていかばかりか……。それをまるごと無視して、あまり縁起の良くない品をたった三つだけ盗んでいくのですから、金目のもの目当てではありえませんよね」
光紀は、ええ、と渋い顔でうなずく。
「金目のもの目当ての馬鹿者だったら、どれだけ良かったかと思いますよ。財産は失われるかも知れませんが、社会的にはそう大きな損害ではない。しかし、『覚書』と衣装が盗まれたのでは……人間社会に対する危機ですよ。いっぺんに何万人殺害できるかも知れないのですから」
あの「黄の王神楽」はね。
と、光紀は呻く。
「え、いっぺんに何万人って……」
善巳は目を白黒だ。
光紀が説明する。
『黄の王神楽』を全部通して見てしまった者もまた、命を取られるとい伝えられています。
もし、覚書と衣装を盗んだ者が、最後まで舞うところを動画撮影でもして、ネットに公開でもしてしまえば?
例えば「見たものは死ぬ呪いの神楽」なんてタイトルにすれば、好奇心の強い野次馬は見るでしょう。
すぐに削除されるとは思いますが、それまでに何万人、その動画を視聴してしまうと思います?
善巳はごくりと唾を飲み込む。
「あの」
ふと、撮影の手を止めて、真名が振り返る。
「でも、その神楽の覚書を読んだだけでも死んでしまうんでしょう? なら、その盗んだ者がどこかで死んでいて、誰も覚えたまま生きてはいられないから、神楽の形になることもないのでは?」
盗んだ人、案外とっくにアジトで亡くなっているのかも……?
そんな希望的観測を述べた真名に、光紀は難しい顔で首を横に振る。
「覚書を読んだ者が即死するならそうなんですが」
「タイムラグがあるのよ、子猫ちゃん」
ふと、星美が口を挟む。
「英語版の『黄の王神楽』……つまり『黄衣の王』を読んでしまった、アメリカ人のヒルドレッド・カステインという男性は、発狂して精神病院で死んでいるの。つまり、しばらくは生きているのよ。自分が死ぬ覚悟でこの神楽を世に出したいと願う者がどこかにいたなら、十分に実行可能な計画ね」
見る間に、真名の顔が青ざめる。
「そういうことです」
光紀がますます渋い顔で唸る。
「魔術の研究のために、人間やめてどう見ても怪物だという存在に変身する者がいるくらいです。自分の狂死をかけて、『黄の王神楽』を広めようとする狂信者くらい、邪神教団の構成員の中にはいるでしょうね」
そして、誰が邪神教団の構成員であるのかは、外見ではわかりませんからね。
家族にも気づかれていないことなんてザラなんですよ。
真名も、善巳も真っ青になって顔を見合わせる。
もう一刻の猶予もないことを、ようやく心底理解したのだ。
「私は、息子が話しているようなことはよくわからないのですが……しかし、およそ思いもしないようなことを考えるおかしな人がいるのは、わかったような気がしますよ」
武光の重い溜息に、真名はうなずくことしかできない。
「……『黄の王神楽』関連のものを置いてあったのは……」
「ああ、二階なんです」
武光が先に立って階段を昇る。
光紀が続き、真名、善巳、星美が続く。
「ここです。長櫃ごとなくなっていました」
二回の一角、高くなったところ。
そこに、埃が積もった形跡がない場所がある。
「ここに『黄の王の紋』が描かれた長櫃がありましてね。中に覚書と衣装と石笛が」
子供が入れるくらいの大きさの長櫃だったのだろうと推測できる大きさ。
真名が、シャッターを切った時。
どずん、という重い音。
まだ残暑の季節にも関わらず、冬のように冷たい風が、全員の肌を撫でた気がした。