「改めまして、お世話になります。わたくし、ご子息にご協力させていただくことになりました、ライターの宇津木真名と申します」
広い、天井も高い、ゆったりした和風の居間。
クーラーが入っており、残暑の気配を追い払うが、庭に面した雪見障子からは、まだ昼前の強い光線が差し込む。
真名は、名刺ケースから万年筆のロゴマークと「ライター・警視庁特別相談員」の文字が印刷された名刺を取り出し、光紀の父武光と、次いで母の祥子に、それぞれ手渡す。
「俺は動物公園勤務の獣医師で、同じくご子息にご協力させていただいている、八十川善巳という者ッス。岩淵さんには助けていただいて」
善巳も、デフォルメされたシカのイラストの描かれた名刺を、光紀の両親に差し出す。
「私は、ご子息にご協力している占い師ということになっているわ。実際は、ご子息が捜査対象にしているようなおかしな存在の血を引いているの。だから使いでがあるという訳ね。名前は相馬星美と名乗っているわ」
星美の名刺は、薄墨で半分に蝶の紋様が入れられた凝ったものである。
「息子から、うすうすは聞いております。この家にもある程度のことは伝わっておりますし。皆様も大変な目に遭われて。ご無事で何よりでした」
光紀の父親の武光は、丁重に名刺を受け取ると、そんなことを口にする。
「あの、うちの息子もふつつかなところがあるものですから。なにとぞ、皆さまにお助けいただければ幸いです。どうぞ、今後ともよろしくご鞭撻ください」
光紀の母の祥子は、そう口にして丁寧に頭を下げる。
光紀の両親が、思いがけずこの世界に入り込むことになってしまった息子の光紀を心配しているのは、言葉と態度の端々から伝わって来る。
真名は、緊張した表情の光紀をちらっと見やると、しかし、この善良で安定した両親も、息子に隠し事をしなければいけないのがこの世界なのだと実感せざるを得ない。
光紀が、座卓の上に置かれた、平たい木製の箱に目を据える。
恐らく樫材の箱、掌に乗るくらい、表面に後から墨で描かれたのだろう、奇怪な紋様が黒々と。
風変わりな文字にも見えるし、翼を広げた怪物の描写のようにも見える。
「父さん、母さん。これって何なんだ? 何が入っているんだ? 何で床下なんかに埋めてたんだ?」
じっとした息子の視線に押されるように、父親の武光が話し出す。
ちょうど、この家の家政婦をしている、年配の女性が、茶を持って来る。
彼女は光紀の母の祥子から田中さんと呼ばれている。
「……これはな、光紀。蔵にあったものと違って、最近のものなんだ。最近といっても、お前が高校生だった頃のことだ。お前、高三の年に、『黄の王神楽』で踊ったこと覚えていないか?」
光紀が眉をひそめる。
何か考え込むような風情の彼に代わり、母親の祥子が外部から来た三人に説明を始める。
「『黄の王神楽』というのは、この辺に伝わるお神楽で……秋のお祭りの時に、代々地元の高校生の男の子が踊ることになっているんです。踊ると申しましても、元の形からはかなり簡単にした、短いものなんですが……」
その後を引き継いだのは、父親の武光である。
「この岩淵の家には、その神楽の完全な形のを記した、『黄の王神楽覚書』という古文書が伝わっておりまして。今回盗まれたのは、その古文書なんです。まあ、それを盗んだところでどうなるものか。どうせ、盗んだのが人間なら、それに何もできないでしょうしねえ」
ふと、真名は気になる。
「あの、お父さん、人間なら何もできない、というのは、どういう意味なのでしょう?」
武光は軽く息を吐く。
「……その神楽というのには、気味悪い言い伝えがあるのですよ。完全な形を演じたり、それを見たり、覚書の形でも全部通して読んだりすると、命を取られるというのです」
真名はぎょっとする。
思わず、善巳と顔を見合わせる。
武光は続ける。
「ですから、その盗まれた古文書というのも、全部を読むことは固く禁じられておりまして。私も、この家の当主になってから長いのですが、古文書を全部読んだことはないのです。地元の高校生の子たちが踊ってくれるというのは、けっこう長い神楽をかなり短く簡素な形で抜き出したもので、それなら安全というのですね」
善巳は、ちらと箱に目を落とす。
「こちらは、ご子息も踊られた神楽で使うものなんスか? 小道具が入っているっていうことなんスかね?」
と。
口を挟んだのは、光紀自身。
「いえ、『黄の王神楽』は、特徴的な黄色の衣装以外に、特に小道具を使うことはありませんよ。今回、その黄の王に扮するための黄色の装束も、古文書と一緒に盗まれています」
だから、と彼は続ける。
「父さん、母さん。これは何なんだ? 俺が『黄の王神楽』を踊った時に何があったんだ?」
武光は、無言でその「黄の印」が描かれた木箱の蓋を持ち上げる。
「何だこれ……?」
光紀は端正な眉をひそめる。
そこに入っていたのは、材質が不明の金属で作られた、まさに「黄の印」を彫り出した、やや大ぶりの指輪だったのだ。