22 事件の終わりと新たな事件

 もきゅもきゅもきゅ……

 がっがっがっ……

 ずずずず……

 

 伸びていた髭を綺麗に剃り落とし、病衣からTシャツとジャージに着替えた栽松隆也が、いくつもの肉の焼かれているホットプレートを前に、サンチュで包んだ焼肉を、豪快に頬張っている。

 光紀の実家の客用離れ、その食事部屋。

 大皿にびっちり並べられた地元名産の高級牛肉、大きなホットプレートで焼肉にされ、新鮮なサンチュと共に、隆也の口に運ばれていく。

 同じ座卓には、光紀と、真名、善巳と星美。

 それぞれ時折白飯を交えながら、自宅焼肉を楽しんでいる。

 

「いやー。病み上がりに肉が!! 肉が染みる!!! ご馳走様です、相馬先生!!」

 

 隆也が上機嫌で肉を掻き込む。

 どうやら、この肉の山を提供したのは、星美であるらしい。

 彼女は、隆也と向き合う席で、流石にヴェールは外して、控えめに肉を味わっている。

 

「あら、こちらの名物の牛肉はみんなで食べに行く予定だったのよ。お家焼肉もいいし、隆也さんもご一緒なのは喜ばしいじゃない? ま、入院生活で痩せちゃったんだから、がっつり取り返してね。まだあるわよ、お肉」

 

 星美はくるんとした蝶の触覚を揺らせてうふふと笑う。

 

「くだちゃんは足りてるかしら?」

 

 隆也が背後を見ると、新聞紙の上に肉の乗った紙皿を置いて、そこにあの管狐がチィチィと一心不乱に肉をがっついている。

 隆也の傍に、何故か離れず付いている、それはシュブ=ニグラスから下された、森の使い魔である。

 

「いや、マジでこんなゲームみたいなことになるなんて」

 

 隆也はもぐもぐしながら気楽に呟く。

 大きい肉の塊を平らげた管狐が、素早く隆也のあぐらをかいた足に上る。

 チィチィ。

 

「でも、シュブ=ニグラスさんのご加護を得ている栽松さんが、私たちに力を貸してくださるんだから、戦力増強っていう点ではありがたいですよね」

 

 焼肉のタレをたっぷり付けた肉を白飯に乗せた真名が、ふと口にする。

 キャラクターもののオーバーサイズTシャツに、レギンスを穿いている。

 

「岩淵さんと相馬先生が、栽松さんを連れて、ついでに山ほど肉を持って帰って来られたのはびっくりしましたけど」

 

「そうですね」

 

 グレーの半そでカットソーに綿パンツの光紀が、ひょいとホットプレートの肉をひっくり返し、隆也に取りやすく寄せてやる。

 

「私の家族の分まで肉をおごってくださったのは有難いですよ。父なんか、家族でしゃぶしゃぶにしようって喜んでいました。それ以外にも、まあ、その、相馬先生には感謝しています……」

 

 光紀が珍しく柔らかく、星美にそんな言葉を贈る。

 彼女の方は、あら、珍しく腰が低いのねと笑うだけだ。

 

「や、しかし、あの人たちに出くわして気が狂うと、生命力も削られて、何度も繰り返すとそのうち死んでしまうって、びっくりッスよね」

 

 善巳が、新しい肉をホットプレートに追加しつつ、そんな溜息をつく。

 彼は黒のタンクトップとスウェットのハーフパンツだ。

 

「相馬先生がいてくだされば、あのおっかない人たちと出くわしても平気だと思ってたッスけど、気を付けないと見るだけで命を削られることもあるんだと……」

 

「そうなんだよね!! 俺もヤバイって!! もふもふゲットだぜって思ってたのに、そう上手いことばっかりじゃないって相馬先生に伺って、あれ、もしかして俺あと一回でアウト!? って」

 

 ちっともヤバイと思っていなさそうに肉をがっつきながら、隆也は箸を振り回す。

 

「まー、でも、戻って来られただけでも、文句言えないからさー。こいつと一緒に、元の仕事頑張るかって。幸い、上役と電話で話したら、俺を復職させた上で、異象捜査課に転属させるっていうことらしくてさー」

 

 光紀が、ふと穏やかな目で、隆也を見る。

 

「色々驚くことがあるかも知れないが……慣れだ。まず、戻ったら異象捜査課全員で、相馬先生から『奴ら』に関する講習を受けることに決まってるからな」

 

 じろっと、光紀は星美を見据える。

 

「先生。次の講習、しっかりお願いしますよ。奴らから心身を護る術は、特にしっかりお願いします。奴らを慮って下手な手心は、ためになりませんよ」

 

 ふと、隆也がじっと光紀を見つめる。

 

「なあ、岩淵さあ。相馬先生に、そういう態度やめろよなー」

 

 もきゅもきゅ肉をかみしめながら、いきなり隆也に言われて、光紀は怪訝な顔だ。

 隆也は更に付け足す。

 

「俺がおかしくなったから、先生みたいな人が信用できねえのか? お前が女の人に冷たいの、何か哀しくなっちまうよ。俺のためだっていうんなら、俺のためにやめろよなー」

 

 光紀は考え込んだ様子である。

 隆也は、星美にぺこりと頭を下げる。

 

「センセ!! 今後もよろしくお願いしますね!! とりあえず、コイツのエサってどうすればいいのかなあ」

 

 管狐が座卓の上に登ってチィチィ鳴いている。

 星美は、うっとりするような美貌で優雅に微笑み、とりあえず、主人であるあなたと同じようなものをちょっと分けてあげればいいわよ、と告げるたのだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「じゃあ、父さん、母さん、理子も。また来るな」

 

 事件の後処理も一通り終わった数日後。

 光紀は、覆面パトカーの運転席で、見送りに出てきてくれた家族にそう別れを告げる。

 助手席には隆也。

 後部座席には、星美、善巳、真名と並んでいる。

 

「皆さん、誠にありがとうございました。光紀。大変な仕事だなあ。頑張れよ。なんか力になれることがあるんだったら、遠慮せずに言えよ」

 

 光紀の父親の武光が、光紀の手をぐいっと握る。

 名残惜しそうだ。

 

「光ちゃん、気を付けてね。頑張り過ぎないで、駄目な時には周りに頼って。皆さん、本当に今回はありがとうございました。東京でもお気をつけて。隆ちゃんは特にしばらく注意して過ごすのよ」

 

 光紀の母親の祥子は、息子のみならず、戻って来たばかりのその親友や、仲間たちが気がかりなようだ。

 

「えー、皆さん、毎年遊びに来てくれていいですよぉ。東京土産美味しいですしぃ」

 

 理子がにやにや口にして、兄の光紀に睨まれている。

 

「今回はありがとうございました。何かまたありましたら、ご連絡くださいね」

 

 真名が会釈する。

 

「長いことお邪魔したッス!! こう言うのは何ですけど、楽しかったッスよ!!」

 

 善巳の言葉に嘘はなさそうだ。

 事件解決後は、友達の家で夏休みを過ごした感覚か。

 

「問題ないと思うけど、敷地の周囲に張った、私の糸の結界は切らないようにお気をつけてね」

 

 星美が、そんな言葉を置き土産とする。

 

「この結界は、人間でもあんまり悪意が強い者は弾くから。何故か敷地に入れない人なんていたら、その人には気を付けるのよ」

 

 すっきりしたスーツに着替えて、確かに言われてみれば刑事に見える隆也は、助手席で手を振る。

 

「おいちゃん、おばちゃん、理子ちゃんも、ありがとうな!! 東京で何か美味いもの見つけたら、送るから!! あと」

 

 ニンマリ笑う。

 

「光紀が、変なことしないように見張ってるからさー。定期的にこいつの生態報告するから」

 

「余計なことはやめろ!! もう行くぞ!!」

 

 光紀はエンジンをふかす。

 屋敷の前のしっとりした道を走り出した車は、広い通りに出る前に、星美の術で瞬間転移させられたのだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「うおー!! すげえすげえ、こうなるんだ!! ヤベエよヨグ=ソトース!!」

 

 相変わらずハイテンションで叫ぶ隆也の目の前で、いきなり高速の地名表示に「東京」が出る。

 光紀はもう慣れたのか、悠然とハンドルを握っている。

 

「いや、びっくりしたッスね、今回の事件」

 

 善巳も、一瞬で東京に向かう車の列に割り込んだ覆面パトカーを、面白そうに見ている。

 

「日本中に邪神教団の魔の手って伸びてるんですよね。今、異象捜査課って全部で何人なんでしょう? 人手足りないですよね?」

 

 真名は、星美に聞かされた、近代的な邪神教団ができる前から、幾つかの地方に残る、伝統的な邪神信仰を思う。

 光紀によると、そういうのはたいてい形骸化して伝統文化の一種になっているそうだが、かつての過酷な信仰をよみがえらせようと思えばできてしまう。

 そう、今回の黄幡市の事件のように。

 

「誰だって、こういうことに向いている訳じゃないしね。でも、今度から私も容赦なくこき使われそうだし、多少はマシになるかしら」

 

 星美がくすくすとヴェールの下で笑う。

 

 と。

 

『異象捜査課本部から各隊へ』

 

 警察無線がいきなり声を上げ始める。

 

『目黒区で、クリーチャー事件発生。急行されたし』

 

 

 

 

「黄衣の伝承」 【完】