9 銃火

 激しいマズルフラッシュと銃声が闇を切り裂く。

 

 真名はいきなりのことにぎょっとして、そして見たのだ。

 

 閃光の中に浮かび上がる空間に、何かいる。

 薄墨が詰まったような空間で、何か視認しづらい「もの」が這っている。

 

 光紀は、「それ」を攻撃しているのだ。

 

「あらあら、大変」

 

 他人事のように星美がくすくす笑うのが聞こえる。

 

「宇津木さん、八十川さん、退避を!! 外に!!」

 

 光紀が叫ぶのが聞こえる。

 衝撃に凍り付いていた真名だったが、ここは光紀の足手まといになってはならないと判断し、やはり固まっていた善巳を引っ張ろうとしたが。

 

「岩淵さん!!」

 

 しかし、善巳が叫ぶ。

 彼の手の中の懐中電灯はまだ光紀を照らしていたが、その輪の中で何かを撃っていた光紀が、いきなり真後ろに倒れる。

 

「何か」が。

 光紀の上にのしかかり、押し倒したのだ。

 軋むような鳴き声が……

 

 銃声。

 

 しん、と静かになる。

 

「岩淵さん!! 岩淵さん、大丈夫ッスか!!」

 

「岩淵さん!!」

 

 半狂乱の善巳と真名が駆け寄ると、光紀は自分の体の上から「何か」をどかしているところである。

 うすぼんやりと、ところどころが影のように見える「それ」は、真名も善巳も襲われたあの生き物、「星の精」に違いない。

 すでに命はないらしく、ぼんやりと触手状の影が投げ出されて見え、それはどさりと力なく光紀の横に転がる。

 

「ぐ……はっ……」

 

 光紀はぜいぜい喉を鳴らしながら、ようよう上半身を起こす。

 善巳の照らした上半身は、何やら、青紫色に近いがピンク色にも見えるような奇怪な色彩の液体で濡れそぼっている。

 ツンとした匂い。

 

 あの、「星の精」の血だ。

 

 真名も善巳もそれを理解し、慄然とした表情である。

 善巳がすぐさま、背中のバッグの中から何かを取り出す。

 

「岩淵さん、どこかお怪我は? 応急手当ならできるッス」

 

「すみません、左胸の上の方を引っ掻かれて」

 

 言われてみれば、おかしな色の星の精の血に混じって、光紀の言われた辺りに赤い人間の血が滲んでいる。

 

「あ、脱がします。動かないでくださいッス」

 

「照明、私が持ちます」

 

 善巳がてきぱき動き出すのと同時に、真名も素早く懐中電灯を受け取り、善巳の横から治療しやすいような角度で照らす。

 善巳が上着を脱いだ光紀のネクタイをほどき、苦労してホルスターを外して、血染めのワイシャツの前を開き、傷を露出させる。

 ささくれたような、斜めの大きな引っ掻き傷が、生々しく光の中に浮かび上がる。

 

「これは病院で縫ってもらった方がいいと思うんスけど……とりあえず止血はしますね」

 

 善巳が清潔なタオルで傷を拭い、消毒してからガーゼを当てる。

 ぐるぐると手際よく包帯を巻いて止血。

 

「これで一応血は止まると思うんスけど……とりあえず今日はここまでにして、引き返した方が……変な動物の血を浴びた訳ですし、感染症や寄生虫が心配……」

 

 善巳の勧めに、しかし、光紀はきっぱり首を横に振る。

 

「いえ。このまま奥に進んで、『妖蛆の秘密』を今日中に回収しましょう」

 

 善巳ばかりか、真名も虚を突かれた顔を見せる。

 

「でも、確かに八十川さんの仰る通りですよ、岩淵さん」

 

 真名は何とか説得を試みる。

 

「八十川さんに応急手当をしてもらったとはいえ、あの生き物に付けられた傷ですよ? きちんと病院で診てもらわないと何があるか」

 

 だが、それでも光紀は首を横に振る。

 

「一日魔術書の回収を伸ばすということは、また一日分犠牲者が出る可能性が増えるということです。それは看過できませんね」

 

 光紀は、手早くワイシャツのボタンを留め直し、足元に置いてあった銃を拾い上げて立ち上がる。

 幸いにして、足元はふらついていないが。

 

「賢明ね、刑事さん」

 

 いつの間にか近づいて来た星美が、例の虹色の糸を、軽く岩淵の額に触れさせる。

 振り払う間もない早業。

 

「……何を!?」

 

 岩淵が思わず星美に銃を向ける。

 

「変なことをした訳じゃないわ。やっぱり、あの星の精が見えないとあなた方は生き残れないと判断したの。で、ちょっとあいつらが見えやすいように細工したのよ」

 

 話している間にも、真名、そして善巳の額に糸が触れる。

 

「え……これで、あのお化けが、星の精が見えるようになるんですか!? なんでもっと早く」

 

 悲鳴を上げる真名に、星美はくすくす笑いかける。

 

「それは、都合のいいことばかりではないからよ。あいつらも見えるようになるけど、他にも色々余計なものが見えるの。精神的に削られやすくなるって言えるかしら?」

 

 真名はきょとんとする。

 意味が取れない。

 どういうことなんだろう?

 

「あの」

 

 ふと。

 真名の横で、善巳が妙に緊迫した声を出すのが聞こえたのだ。

 思わず、真名も光紀もそちらを向く。

 

 いつの間にか、薄墨が詰まったようにしか見えなかった室内は、やや日が陰り始めた時刻ぐらいの光量で見えるようになっている。

 その視界の中に。

 見慣れぬものがいたのだ。

 

「……あそこ、見えるッスかね……人がいるのは、俺の気のせいじゃないッスよね!?」

 

 この玄関ホールから、奥の廊下に繋がる場所。

 細長い額のように見えるその部分。

 そこに、うすぼんやりと、ひょろ長い感じの、壮年男性の姿が見えていたのだ。

 

 ゆらゆらしたその姿は、さながら燐光でも放っているように、埃っぽい廃墟の廊下に浮かび上がっている。