もはや森の下生えのようになっている敷地内の緑を掻き分け、四人は廃墟の前庭を進む。
先頭が銃を構えた光紀、次に真名と善巳、最後に星美という形だ。
がさがさいう大きな音、舞い上がる藪蚊はじめ様々な虫。
頭上の巨大化し切った庭木の枝で、何かの鳥が叫び声にも似た不吉な声で鳴く。
「相馬先生……!?」
着物ではさぞ難儀だろうと思い至った真名が振り返り、思わずぎょっとする。
心配された星美は、まるで見えないだれかがわざわざ重いもので草木を左右に薙ぎ倒したかのような空間を、しずしずと無理のない足取りで進んでいたのだ。
「あら、心配してくれたのかしら、子猫ちゃん?」
星美はヴェールの下でさぞ面白がっている笑顔なのだろうと予想される調子でそんな言葉を投げる。
「旧約聖書の、『出エジプト記』ってご存じですか?」
ちらと振り返った光紀が淡々と口にする。
「聖書の神ヤハウエは、エジプト軍から逃げるモーセのために海を割ったと言います。ならば、相馬先生を加護しているどなたかだったら、地球そのものくらいは割れそうですね。雑草を掻き分けるなんて片手間もいいところでしょう」
星美がけろけろ笑う。
「大丈夫よ、今のところあの人忙しいみたいだから、地球は無事だわ。あの人か、あの人の父親か、それともあの困ったちゃんか、もしくはねぼすけさんの気が変わらない限りは、ね?」
あの人?
困ったちゃん??
ねぼすけさん???
真名は怪訝な表情を抑えることができずにいる。
誰の事なんだろう?
地球を滅ぼせるだって?
漫画の悪役じゃあるまいし。
こういうのは、光紀も言っていた「神」というやつのことなんだろうか?
まるで親戚の中でアクの強い人の話をするみたいな星美の口調だが、彼女とそのとんでもない「神」とやらってどういう関係なのか?
「あ、あの」
思わずといった調子で、善巳がしげしげと星美を見据える。
「そういう神様にお願いできるお立場なんでしたら、ここはちゃちゃっと何とかしてもらう訳には……いかないッスかね?」
星美はますます笑う。
「そういう横着はダメよ。あの人、忙しいって言ったでしょ? 私個人としてもここは楽しみたいから、あなた方は頑張ってね。手伝ってはあげるわ」
楽しみたいって……人死にが出ているんですが……。
真名は口にしかけて引っ込める。
何か、言っても無駄という気がしたし、言わない方がいいとも直感したのだ。
と。
光紀がようやく玄関扉に取り付く。
「……鍵はかかってるな」
光紀が、銃を構えて鍵をぶち抜こうとした時。
きらきら虹色に光る筋が、背後から軽やかに伸びてきて、ドアノブに触れる。
かちゃり、と音がする。
まるでたった今誰かが鍵を開いてドアノブを回したかのように、ドアは軋み音を上げて、ゆっくりと開いていったのだ。
「……感謝します。相馬先生」
光紀が振り返る。
言葉は丁寧であるが、瞳の色は冷ややかだ。
「今後ともこの調子でお願いしたいですね」
「もちろんよ。手伝ってあげるとは言ったでしょう? あなた方が体験しなければならないことには手出ししないけど、ね?」
含みのある調子でくすくす笑う星美に構わず、光紀は内部に侵入する。
「……暗いな」
「あ、懐中電灯持って来てるッス」
善巳が、肩から下げた合皮のバッグの中から小型の懐中電灯を取り出す。
小型といってもアウトドア向けの本格的なもので、光量は大きい。
「俺が背後から前を照らしますから、岩淵さんは前を警戒してくださいッス。すんません、俺戦闘手段なくって」
「いえ、助かります。八十川さんも周囲には気を付けてください。宇津木さんも。あの生き物、どこから来るかわかりませんから。空が飛べますからね奴ら」
ゆっくり移動する懐中電灯の光を見やりながら、光紀は廃墟の埃っぽい内部をぐるりと見渡す。
都市近郊の廃墟にしては珍しく、「肝試し」の野次馬にあまり踏み荒らされていないようだ。
玄関ホールは闇が詰まっている。
埃が積もった板張りの床は傷み切っている状態だ。
壁紙が剥がれて幽霊の手のようにだらりと垂れているし、反対側の壁にかかっていたのであろう絵画は床に落ちている。
その部分だけも、個人の邸宅にしてはかなり豪華だった面影はあるが、それも長い歳月で荒れ果てて見る影もない。
真名は何となく、プレイしたことのあるホラー系のゲームを思い出す。
ふと。
「何か、聞こえましたね」
銃を構えたまま、光紀が頭上を見上げる。
元はかなり大きな照明が吊られていたのであろう、格子状の紋様で飾られた天井が見えるだけ。
「……やっぱり、あの生き物がいるんですね」
真名は緊張で生唾を飲み込む。
いきなり襲われたらどうしよう。
なにせ、あいつらの姿は、昼間でもほとんど見えないのだ。
こんな暗がりで襲われたら。
「とりあえず、どこかにある魔術書とかいうものを確保しなければいけません」
光紀が銃を構えながら、玄関ホールを改めて見回す。
善巳が、彼の合図に合わせて、ゆっくり懐中電灯で室内を舐める。
朽ちたテーブルと椅子、飾り棚らしきもの、隣に据え置き型の電話がそのままになっている電話台、反対側に、ヒーターが内蔵してある方式の暖炉。
暖炉の上には大きな時計が置かれている。
もう動かないが。
「どこにあるかわかりませんからね。一応、この玄関ホールも一通り調べて……」
光紀が言い終わらぬうちに。
いきなり、電話台の上のアンティークな電話が、大きな音を立てて着信を告げたのだった。