「どうも、初めまして。八十川善巳と申します」
挨拶してきた若い男性は、かなり大柄だ。
真名より、頭一つ分くらいは、優に大きい。
肩幅も広いガッチリ型の体格は迫力があるが、目つきは温和である。
しかし、右ほおにあるうっすらした傷跡が、何かの過去を物語るかのようではある。
「こちらこそ初めまして。宇津木真名と申します」
名刺を交換し、紹介者の岩淵光紀も含めて、そのビジネスホテルの一室のソファに収まる。
真名が前職からの知人であった光紀を介して会うことになった善巳は、つい先日、あの奇妙な生き物と、蝶の翅を持つ不可思議な占い師に出会ったばかりだと言う。
「先日の事件。おかしいですよね。そんなに突飛な事件で、目撃者も大勢いるはずなのに、新聞でもテレビニュースでも、それ以外の媒体でも報道された様子がない……」
早速、善巳が遭遇したという事件に、真名は切り込む。
善巳は、認識してもらっていたことにほっとしたと言わんばかりの様子で、何度もうなずく。
「そうなんですよ。あの時、午前中の比較的涼しい時間で、お客さんはそれなりにいました。世間的には休日でしたし。なのにメディアで報道されていないし、SNSもチェックしてみたんですが、俺がチェック始めた時間には、もう削除されてしまってたみたいで」
「SNSでも削除!? そのおかしな生き物の投稿は全部、だったんですか?」
真名が突っ込むと、善巳は鋭い溜息を吐く。
「アカウントごと消されてました。俺がチェックできたのは、知り合いのアカウントが急に消されたことを不審がるフォロワーの投稿で」
「動画投稿サイトにも、何件かの投稿があった痕跡はありましたが、それも投稿直後に削除されているのを確認しましたね」
光紀が出された缶コーヒーをすすりながら、そう付け足す。
更に、
「“ああいうもの”は、消すことになっているのですよ。各種メディアや、ソーシャル要素のあるプラットフォームではね。それが、『通常営業を続けられる条件』なんです」
真名には驚きはない。
そんなことは、前職を辞する時には気づいていたのだから。
しかし、善巳には驚異だったようで、露骨に目を白黒させている。
「私も前職が新聞記者でしたが、例の生き物の関する記事は、デスクに握り潰されましたね。きっと、どこもそんなものでしょう」
真名がさりげなく説明すると、善巳はふと首をかしげる。
「あの、宇津木さん。それはいつ頃のお話なんですか?」
「ええ、去年……ちょうど今頃ですね。そういえば、一年前から、あの生き物は都内に出没していたということに」
「いや、その前からですね」
真名の言葉に、光紀が割り込む。
「そうだ、岩淵さんは確か」
「そう、一年半ほど前ですね。私があの怪物と……あの奇妙な女性……なのかな、彼女に出くわしたのは」
今の「異象捜査課」に配属されたのは、そのすぐ後でしてね、と付け加えると、善巳が怪訝そうに口を挟む。
「岩淵さんは、どういう状況だったんですか、やはり、お仕事で?」
「そうですね。その時は人死にが出ています。奴らは、人も襲うんですよ……」
善巳ばかりか、前もって知っている真名も、この話になると、緊張を禁じ得ない。
「それに……死ぬのは、人の肉体だけではないのでね」
不意の重苦しい響きに、善巳が顔を上げる。
光紀は、ビジネスホテルの味気ない窓の外を、ぼんやり眺めているばかり。
「あの、それはどういう……?」
「……同僚がね。駄目になりました」
「駄目、って……」
「完全に精神が破壊されてしまった。同期の私のことはおろか、家族のことも識別できない廃人ですよ。まだ、G県内の施設にいるはずです」
善巳の顔が緊張で強張る。
真名は冷静に受け止めようと思っているが、この話はいつでも身震いがする。
「でも、岩淵さん自身は、あの蝶の女の人に助けられた。八十川さんも、私も。苦労しましたが、探しあてました。この人です」
真名は、星美にもらった名刺を自宅でコピーしたものを、光紀と善巳に差し出す。
「……占い師さん、ですか?」
善巳が信じがたいと言うように、まじまじと名刺を見据える。
「ええ。H市のショッピングモールそばに、店舗を持っていますね。実際、お会いして確認しましたから、ご本人に間違いないですよ」
「この方、仕事を持っている、ということは、人間なんですね。少なくとも、そういう体裁ではあるはずだ。何者なんです?」
真名が説明すると、光紀が質問を挟む。
ゆるゆると、真名は首を横に振る。
「詳しいことを訊く前に、おかしな力で遠ざけられたんです。でも、名刺をくれましたし、通話アプリのIDまで裏に書いてありましたから、私を拒絶している風ではありませんでしたね」
「……私も、彼女に会って話がしたいのですが。仕事の上でも、個人的にも、彼女の正体を確かめる必要があります」
光紀が強く押すと、真名はうなずくしかない。
「ええ、このままという訳にはいかないでしょう。それに、どうも気になっているんですよね。あの方、私がああいうものに出くわす運命だとかなんとか……まだ、巻き込まれるものがあるみたいな口調でした」
光紀は首をかしげ、善巳はどこか怖気を振るった様子。
「……怖いんですが、俺も連れて行ってもらえますか。なんていうか……確認したいことも」
「そうですね。彼女に会わないと、あの怪物の正体はわからないでしょうし……それにそもそも、どうも彼女は不審ですね」
光紀の言葉に、真名はいささか表情を曇らせる。
「どういう意味で?」
「……おかしいですよね。あの怪物がいるところに、必ず彼女が現れる。まるで、怪物が現れることを知っていたみたいにね」
ぎくりとした真名と、善巳の目が合う。
同じような衝撃を受けていると確認した二人だが、真名の方が思い切って口を開く。
「しかし、それだと、どういう目的であの方は……」
「いや、そもそも、彼女、人間じゃないでしょう、どう考えても。彼女も怪物だと、お二方とも、思われないんですか?」
今度こそ、沈黙の下りた室内。
いきなり、真名のスマホが鳴動しだした。