「ただいま」
光紀が自宅の玄関の引き戸を開く。
背後に、真名、善巳、星美が。
「あっ、お帰り、光兄(こうにい)!!」
ぱたぱたと出て来たのは、見慣れぬ若い娘である。
半そでのカットソーシャツにジャージのハーフパンツ、長めの髪を、ポニーテールにまとめてタオル地のヘアバンドで留めている。
色白の美形であり、どことなく光紀と面影が共通している。
夏の沙羅の花を思わせる娘。
「理子(りこ)、帰ってたのか。皆さん、妹の理子です」
光紀が妹を紹介する。
理子は玄関の上がり框でちょんと膝をついて挨拶、真名たちは、それぞれ彼女の両親にしたように挨拶して名刺を手渡す。
「いや、市役所に知らせが来て。家が何か変なのに襲われたって」
理子は滑らかな聞きやすい声で、そんなことを告げる。
「今日は早退させてもらって。健ちゃんも一緒に」
「ああ、健吾くんも来ているのか。この靴、健吾くんだな」
光紀は、まだ新しい革靴に目を落とす。
真名も善巳も、耳慣れない名前に誰だろうという顔だが、星美はわかっている様子である。
「いやあ、理子さんお綺麗ッスよねえ。岩淵さんもイケメンッスけど、ここのお宅の方、美形しかいらっしゃいませんスね」
「ねえ、ほんと。お父様お母様も大御所俳優さん女優さんみたいだし」
善巳と真名が口々に褒めると、理子はえへへと身をよじって照れる。
「あんまりこのバカを調子に乗らせないでください。理子、父さんと母さんは中にいるな?」
光紀に問われると、理子はうなずく。
「父さんも母さんも、弘江さんもちゃんと無事。健ちゃんも冷茶淹れてくれてると思うから、入って入って」
理子に促され、四人は岩淵家の母屋に上がる。
「ええと、健ちゃんというのは?」
「妹の婚約者です。松木健吾くん」
真名が尋ねると、光紀が穏やかに返す。
「長男の私は家を出てしまったので。妹が、婿を取って家を継ぐことになっているんですよ。健吾くんは来年になったら妹と結婚して岩淵の家に入ってくれる予定の人で」
「ああー、なるほど」
真名はうなずく。
そういう仕組みになっているのだ。
客間に案内されると、既に武光と祥子が待っている。
四人が座卓に就くのを待って、若い男性が冷たい茶を持って来る。
彼が松木健吾だろう。
すらりと背が高く、体格も表情も精悍で、動きからすると何か運動をしているようだ。
「お久しぶりです、お兄さん。どうも大変なことになってしまって」
健吾は茶を並べながら、光紀にそんな風にこぼす。
すぐ後で、手伝いの女性らしき年配の人物が、菓子鉢に山盛りの菓子を運んでくる。
彼女がここの家政婦で、田中弘江だと、光紀が三人に紹介する。
「ああ。今日襲って来た奴らは、もう心配いらないから。ちょっとこちらで細工した。だけど、まだ犯人は見つかった訳じゃないから、今後とも気を付けてくれよ。弘江さんも気を付けて」
光紀が口にしたのは、星美に依頼して、異多禍の死骸を消し去ったのと、岩淵家の敷地周囲に、彼女の糸で結界を張ったことだろう。
健吾と弘江にも、真名、善巳、星美が名刺を渡して挨拶し、いよいよ光紀が本題を口にする。
「まず、現時点でわかっていることを整理しましょう」
光紀は棚の下の段からプリンタ用のA4の紙の束を取り出す。
「警察署で見た、ここの家の蔵の鍵は、明らかにクリーチャーによって壊されている、宇津木さんが呼べるような、『星の精』の可能性は高い。間違いなく邪神教団が関わっている」
光紀が「邪神教団 星の精」と紙の上部に書き記す。
「『星の精』を呼べるなら、奥脇も所属していた、『聖海友愛団』の可能性が高そうですよね」
真名が推理すると、光紀はうなずいてそれも書き記す。
「盗まれたものは、『黄の王神楽覚書』と『黄の王の装束』と『黄の王の石笛』。これは長櫃ごと盗み出されているので、単独犯の線は薄い」
善巳がええと、と首を捻る。
「すると、この辺に『聖海友愛団』の団員が複数いるってことなんスかね? もしや日本全国にいるんスか、あの気味悪い教団の構成員」
光紀がうなずく。
「ええ、日本全国にいるはずです。そもそも奴らは、本来の神仏から、邪神に鞍替えした不埒な寺社仏閣の僧侶や神主の繋がりから始まっている。どこに行っても単独ではないでしょう。親族なり被雇用者なり、協力者が必ずいると見ていい」
しかし、と光紀が付け加える。
「この辺だと、土地柄上、元々の神社がハスター信仰の神社ばかりですからね。鞍替えした訳ではない。どちらにせよ、覚書を盗んだからには、500年前に途絶えた、ハスターを確実に召喚するいけにえも捧げられる神楽を再現したいという目的は推測できますね」
ふと、星美が口を挟む。
「問題は、誰が『蔵に侵入して、迷うことなく二階の長櫃を盗もうと思ったか』よね? 何でハスターちゃん関連のものがまとめて蔵の二階にあることを知っていたのかしらね? 警察署でも、下足痕はまっすぐ二階と一階を往復していたって言われたじゃない? 最初から知っていたのよね?」
母屋のどこかでもなく、客用の離れでもなく、蔵にまっすぐ行ったのは、このお宅の事情をある程度知っていないと無理よね?
ちょっと面白そうに、星美が推理を促す。
光紀はふむ、と唸り、両親を見る。
「父さん、母さん。この家の内部事情をある程度知っている、覚書なんかが蔵の二階にあるって知っていそうな人って、家族を除くと誰だ?」
光紀は、そう告げつつ、素早く両親の名前、妹とその婚約者、家政婦の名前を紙に書きつける。
「そうだなあ……家に出入りして、覚書が蔵の二階にあるって知っているといえば……まず、神楽保存会の方々かなあ。池垣さん、中村さん、風間さん、特に池垣さんは、郷土資料館の館長だからなあ。でも、盗みなんてことをするような人では」
光紀は、うなずき、その人なら知っている、と呟く。
「あとは……今年『黄の王神楽』を舞ってくれるはずの高校の人たちは知っているはずだな。ええと、黄の王役の加津間俊くん。郷土史研究クラブの部長の大槻……まゆみさんか、その人と、あと顧問の先生の……星夏生先生と、三人でよく見えられたなあ、特に夏休みの間」
武光は、書きつけた手帳を開きながら、それぞれの名前を告げる。
「あとは……このくらいか」
「あ、ちょっと待って。あの人がおいでになったじゃないの」
祥子が、ふと思い出したように。
「母さん? あの人って?」
光紀が視線で促すと、祥子はわずかだけ逡巡する。
「ほら、光ちゃん、可哀想なことになったお友達がいたじゃない? お兄さんがいらしたこと、覚えてる?」
光紀ははたと目を見開く。
「栽松……栽松の兄さん」
「そうよ、隆也くんのお兄さんの達也さんが、お見えになったのよ。隆也くんのことまだ諦めていらっしゃらないって。この家に伝わる神楽のことなんか、かなり詳しく訊いていたわよ、どんなことでも治す手掛かりになればって」
光紀の目の色が変わる。
「母さん。達也さんの連絡先はわかる?」
いまだ狂気と共に薄暗い施設にいるはずの友人の記憶を刺激され、光紀は母親に詰め寄ったのだった。