4 契約の印

「それは、『ハスターの輪』ね」

 

 それまで静かにしていた星美が、不意に言葉を発する。

 

「ハスターが契約の印に、信者に与える指輪よ。ハスターの力により、身に着けた者は、その混沌の渦の中から、ハスターの力を一つのシンボルとして凝縮したものを召喚できる……」

 

 おめでとう、刑事さん。

 魔術書を得た子猫ちゃんや、クトゥグァの加護を得た獣医さんに押されてたけど、これであなたが事実上、戦闘力でナンバーワンに返り咲きよ。

 

 星美はそんな風に揶揄する。

 光紀は、意味が取れないようで、鋭い目で星美を見据える。

 

「わかるような言葉を使ってください、先生。この指輪で、何かが召喚できるということなんですか?」

 

 困惑しきった両親も、仲間たちも尻目に星美を問い詰める光紀を、当の星美が面白そうにヴェールの奥から眺めている気配。

 

「子猫ちゃんや獣医さんみたいに、生き物が召喚できる訳ではないの。召喚できるのは、マテリアル・プレーンとアストラル・プレーンにまたがって存在する、ハスターの力の一部である『物品』よ。例えば……」

 

「武器も、ということですか?」

 

 光紀の視線は刃物のようだ。

 

「そうね。あなたなら武器を呼び出せるでしょう。ハスターの風の力を借りた拳銃とか、ね」

 

 親しんで、頼りにしているものの形で、ハスターの力は呼び出されるわ。

 あなたは大学時代、クレー射撃にも親しんでいたんでしょう?

 そして、あの廃墟での射撃の腕前からして、警察署での射撃訓練にも熱心なはずね?

 人間ちゃんたちの武器でしかないもので、星の精を射殺したこともある、大した腕前よ。

 

 くすくす笑う星美から視線を逸らし、光紀は素早く、その指輪「ハスターの輪」を取り上げる。

 何の迷いもない仕草で、光紀は「ハスターの輪」を、左手の中指にはめる。

 

「光ちゃん!?」

 

「おい光紀!!!」

 

 肝を潰した光紀の両親が思わず声を跳ね上げる。

 真名も善巳もぎょっとする。

 あまりに光紀の動きが自然だったために、止めに入る暇もなかったのだ。

 恐らく事前に察知していた唯一の人物、星美は、面白そうに首をかしげている。

 

「相馬先生。あなたなら、これの使い方をご存知でしょう。レクチャーしてもらいますからね」

 

 光紀が、相変わらず問答無用の調子で、星美に言い渡す。

 星美はウフフと笑う。

 

「それの使い方って、そんな難しくないのよ? その時その時必要になったものを、ハスターが送ってくれるの。あの前の事件の時みたいに、星の精なり何なりに襲われたなら、自動的に武器が送られてくるはずよ? 今度はあのくらいなら一撃で散らばらせられるような威力の武器がね?」

 

 神殺しの武器というやつね、ウフフ……

 星美が含み笑いすると、光紀は無言で立ち上がる。

 雪見障子を開き、庭に面した廊下に出る。

 

「先生。来てください」

 

「はいはい」

 

 光紀は星美を伴って、庭に面したサッシを開ける。

 

「いきなり武器を呼び出すには、どういうことをすればいいのですか? 呪文は必要ありますか?」

 

「それを身に着けたら、助けを呼ぶ声はハスターに届く。さっき、それを身に着けたことで、あなたとハスターの契約は成立してしまったの。そうね、あの星の精に襲われた時のことをイメージして、武器が欲しいと念じてごらんなさい」

 

 光紀は、午前中のまだ澄んだ光の満ちる日本庭園に向けて、すらりと長い腕を伸ばす。

 

 巧みな手品より、よほど滑らかに。

 光紀の構えた両手の中に、まるで奇怪な生き物のような有機的な曲線を描く、しかし間違いなく大型の拳銃であろうというものが、一瞬で出現していたのだ。

 

「えっ、岩淵さん……?」

 

 慌てて後を追って来た真名が、その光景を目撃してしまい、はっとする。

 それは幾何学の法則が歪んでいるように見える冒涜的な形をしながら、しかし、明らかに「銃」だとわかる見た目であるのだ。

 暗緑色のつやの奔る黒っぽい、しかし、同時に奇妙な微光に包まれてもいるような、恐らくは何かの金属であろうという材質でできてはいるのだが、一体どういう金属なのか、真名にはさっぱり理解できない。

 

「え……これも召喚したってことッスか!? 武器の召喚ってあるんスね……」

 

 善巳は真名のすぐ後から追って来て、首を伸ばしてその「ハスターの銃」を覗き込む。

 その禍々しさにごくりと唾を飲み込み、多少仲間の一人に対する態度が厳し過ぎても、まともな人士だと思っていた警察官までもが、もはや「こちら側の人間」だという事実を認識せざるを得ない。

 

 光紀は、その異様な銃を虚空に向け、引き金らしきものに手を掛ける。

 

「弾丸は勝手に込められるから。ハスターの風がね? ウフフ……」

 

 星美はそんな風に告げる。

 

「時々、ハスターが話しかけてくるかも知れないけど、慣れれば平気よ。あの人、比較的大人しいから、当面鷹揚に見守ってくれると思うわ」

 

 光紀は皮肉に口元を歪める。

 

「『比較的大人しい』ですか。なるほど、ものは言いようだ」

 

「まあ、事実よ。大体知ってるじゃないの、ウフフ……」

 

 星美に言われて、光紀は「それはそうですね」と口にする。

 ちょっと「ハスターの銃」を見据えると、銃は空気に溶け込むように消える。

 

「光紀……」

 

 背後で呆然としている両親に声を掛けられ、光紀はふと振り返る。

 

「父さん、母さん。教えてくれ。これを持ってきたのは誰なんだ? 俺はその人に、高校三年生の秋祭りの時に会ってるんだよな?」

 

 成長した息子に見据えられ。

 光紀の両親は、少し悲し気にうなずいてから、座るように手で示して、ゆっくりと語り出したのだった。