1 黄幡市へ

「あの屋敷に、残されていた手記や資料の調査が、大体は終わりました」

 

 国道を西に向かう、覆面パトカーの中。

 ハンドルを握る光紀は、先ごろどうにか終えた、魔術師の屋敷の探索についての事後調査の報告を口にする。

 運転席に光紀、助手席には善巳。

 後部座席には並んで真名、そして星美。

 

「あ、セトが出てきてその辺はあやふやになってましたよね。何かわかったんですか? あのポリプになっちゃってた人って、星の精を呼ぶ以外にも何かしてたんですか?」

 

 後部座席に座る真名は、持ち前の好奇心に駆られて、気になっていたことを突っ込む。

 あの屋敷の主は、幽霊どころか、明確にクリーチャーになっていた。

 あれはどういう訳だったのか?

 

「……あの魔術師……奥脇孝三郎ですが……どうも、『聖海友愛団』の幹部の一人だったらしく……後進の魔術師に、『妖蛆の秘密』の一部の呪文をレクチャーする役割だったようです。だから本人以外にも、星の精を呼べる者が何人かいたようですね」

 

 光紀は苦い表情でハンドルを叩く。

 あれ、と善巳が口を挟む。

 

「でも、あんなぐちゃねちょのお化けだったのに、人間に呪文なんか教えられたんスか? なんだってあんな姿になってたんスかね、あの魔術師さん」

 

 光紀は眼鏡の奥で目を光らせる。

 

「あれも奴が研究していた、魔術の一種だったようですね。クリーチャーと魂を入れ替えて、通常の人間からすれば不老不死にも近い寿命を得る。人間でなくなってしまいますが、いつまでも魔術の研究は続けていられるという訳です」

 

 邪神教団に所属してさえいれば、クリーチャーになってしまおうとなんだろうと、生活する術は提供されますからね。

 外見と人間としてのプライドに重きを置かないなら、実に良い手段なのでしょう。

 光紀は冷たく説明する。

 

「そう言うけど、彼らだって『人類』や『地球人』と言えなくもないのよ?」

 

 面白そうに、後部座席から星美が言葉を投げる。

 

「七億五千万年前に、外宇宙から太陽系に飛来して、地球をはじめ、四つの惑星に住み着いたのが『空飛ぶポリプ状生物』。せいぜい数万年程度の歴史しかないあなた方よりだいぶ先輩で、ずっと地球人なのよ? ウフフ……」

 

 バックミラーの中から、光紀がじろりと星美を睨む。

 

「この中だけではいいですが。私の実家に着いたら、そういう話題はご遠慮願います。両親はいい歳ですし、妹は怖がりなのでね」

 

「まあまあ。岩淵さん、お世話になりますね」

 

 真名がとりなすように話題を変える。

 

「でも、驚きでしたね……。邪神信仰が土着信仰として根付いている地域が、日本にもあるなんて。その一つが、岩淵さんの地元だったなんて」

 

 真名は、傍らに置いた、『妖蛆の秘密』を隠したショルダーバッグを、ぎゅっと握ったのだった。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 黄幡市(きはたし)は、山深いある県の北寄り、山と平野が接する地域に位置する、人口30万人程度の地方都市である。

 

 国の伝承に名を残し、名状しがたい化け物が跋扈していたという物語をはじめ、大概のよそ者が顔をしかめる奇怪な伝説と神話の街。

 山の稜線から吹き下ろす風が、複雑なうねりと叫び声のような音を伴って、平野を愚弄するように撫でていく街。

 

 いくつもの古い神社があるが、多くが「爬素汰(はすた)大明神」を祀るというこの街には、古い名家も何件か。

 その中の一つ、大地主で知られる「岩淵家」が、現在警視庁異象捜査課に所属する刑事、岩淵光紀の実家である。

 

 年末年始に、運が良ければ帰省できるという光紀は、事情を聴きに呼んだ相馬星美から奇妙なことを告げられ、思わず実家に連絡を入れたのだ。

 その時告げられたのが――

 

「家の蔵が破られ、『黄の王神楽覚書』と『黄の王の神楽衣装』、そして『黄の王の石笛』が盗まれていた」

 

 という情報だったのだ。

 

 かくして、岩淵光紀は、新たに「警視庁特別相談員」の肩書を付与した、宇津木真名、八十川善巳、相馬星美の三名を伴って、自分の実家、黄幡市の岩淵家に向かうことになったのである。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「!? 何をしました!?」

 

 いきなり目の前の景色が変わり、光紀ははっとしてハンドルを握り直す。

 どこか国道には違いないであろうが、明らかに先ほど東京を出たところとは違う光景だ。

 未知の周囲は濃い緑の樹木に覆われている。

 少し涼しいような気がする。

 

「ショートカットよ。刑事さんも早くご家族に会いたいでしょう? 昼前に着くと思って、これ、用意したんだから」

 

 星美が、膝の上の高級日本料理店の包みを示す。

 匂いからして、舞茸と魚介類の天ぷらと、炊き込みご飯といったところ。

 

「……ここは……黄幡市手前の国道……か……なるほど」

 

 光紀が、バックミラーの中から、星美を睨みつける。

 

「あなたがヨグ=ソトースの娘だということを今更実感しますね。時空が自由自在という訳だ。車を数百km先に一瞬で送り込むなど、朝飯前、と」

 

 星美がくすくす笑う。

 善巳がきょろきょろと走り続ける車の周囲を見回しながら、目を白黒させる。

 

「えっ、瞬間移動したってことなんスか!? え、ここもう、岩淵さんの地元!?」

 

「あ……皆さんあれ」

 

 真名が、フロントガラス越しに、青い標識を指し示す。

 きっぱりと「黄幡市」と記されている。

 

「そんなバカな。さっき、東京を出たところッスよ……」

 

 ひょええ、と善巳が息を呑む。

 

「あっ、でも、こんな早い時間に押しかけて、岩淵さんのご家族の方々、困ってしまわれるのでは? どこかで時間を潰します? あ、確か地元の警察署にご挨拶しないとって」

 

 真名が目の前に広がる、ところどころ畑の点在する穏やかな街の様子を見渡しながら、困惑したように呟く。

 

「一応連絡は入れて、早く刑事さんのご実家に向かった方がいいわよ?」

 

 星美が、またぞろヴェールの下でくすくす笑いながら。

 

「……岩淵家の床下に、賢明にもお父様が隠しておいでで無事だったもの、一刻も早く確保しないとね?」