19 黄衣の王

「さて、そろそろ始めますか」

 

 星は、綺麗に拭き清められた舞台に向かい、そう口にする。

 山中の神社の一角は薄暗い。

 鎮守の森というには茂り過ぎた木々、かつては何かの建物があったのだろうという石の台の上には、舞台用のライトが交錯し夏の終わりの薄闇を切り裂いている。

 その石舞台の上にいるのは、三人。

 学校の職員室からそのまま戻って来たような星。

 真っ白な浄衣を纏う、大槻まゆみ。

そして、「黄の王の装束」と「黄の王の面」を纏った、体格からして加津間俊に間違いない者。

 

「はい、先生。……加津間くん、準備」

 

「はい」

 

 俊が石舞台の真ん中あたりに黄の王装束のまま進み出る。

 顔を覆う白い面は、歪んだ魔物の哄笑を見せているようだ。

 

 俊が石舞台中央で両腕を鳥のように広げ、舞の構えを取る。

 まゆみが、舞台の裾で、浄衣の袖で輪のような形を作り、顔を伏せる。

 

 星は、舞台前のカメラを起動させ、マイクの電源も入れる。

 台の上のパソコンで動画サイトの配信設定も調整し、準備万端。

 準備完了の合図を送り、星がその場を離れると、まゆみが顔を上げ、高い声で口上を述べ始める。

 

「さてさて、これなるは黄の王のお出ましの一部始終なり。空の風に吹き上げられ、天の色を見る者こそご照覧あれ」

 

 と。

 その口上が終わらぬうちに、カメラがいきなり弾ける。

 

 まるであらかじめ小型の爆弾でも仕掛けられていたように弾け飛ぶカメラ。

 次いでマイクが、そしてパソコンそのものまで砕け散る。

 

「そこまでだ。やらせる訳がないだろう」

 

 冷たい声が、むっとする夏の夜の大気を吹き散らす。

 境内の正面、崩れかけた石段が続く入口から、背の高い男性が現れる。

 繊細な美形、だが眼鏡の奥で冷たく光る目は、猛禽類の鋭さだ。

 その右手に、冒涜的なまでに異様な曲線で構成された、恐らく銃器の一種であろうというものが握られている。

 配信用の機器を壊したのは、これの銃弾に間違いあるまい。

 

「……よくここがわかりましたね」

 

 星が、固まっている舞台上の生徒二人に代わるように問いかける。

 

「魔術師さん。私のことはご存知なくて? 私は魔術師どころか、あなた方の分類で言うなら邪神だわ」

 

 いつの間にか、銃を構えた男性――光紀の背後に、ヴェールに着物というざわざわさせるいでたちの女性が立っている。

 その女が、只者ではないということは、昼間会った時から感知していた星であるが。

 教団つての情報でも知ってはいたが、こうして名乗りを上げられると、緊張を禁じ得ない。

 

「配信用の機材も壊れてしまったし、もうこれで終わりですね」

 

 真名が、「妖蛆の秘密」を手にしたままで石段を上がって来る。

 強い光の宿る目に、とんでもないことをしでかしかけた三人組への憤りと疑問が宿る。

 三人とも魔術師なのだろうか?

 未成年の二人まで。

 光紀が口にしていた、中学一年生の魔術師の話が頭をよぎるが、理屈ではあり得るとわかっていても、幼さの残る彼らを見れば戸惑いは隠せない。

 

「あー、抵抗しないでくださいよ」

 

 いかにも気が進まないというように、ゆっくり石段を登ってきた善巳が、沈んだ声で三人の魔術師に警告する。

 

「俺を護っている人って、あんまり手加減とかしてくれないッスよ。未成年の人だからって、見逃してくれるとも思えないんス。ここであなた方が抵抗したら、その、焼き殺してしまうかも知れないんで。脅して悪いッスけど」

 

 善巳の言葉が終わる前に、周囲を警戒するように、炎の精が二体、彼の左右に出現する。

 ぼうぼうと燃え上がる炎の熱気が、湿っぽい境内を炙っていく。

 

「さて。盗まれた『黄の王の装束』を持っているところからして、盗難の実行犯はお前たち三人で間違いないな。主犯は星夏生、共犯は未成年ではあるが、星が顧問をしている部活の生徒の、大槻まゆみと加津間俊」

 

 光紀が、星に銃をポイントしたまま詰問すると、星はくすくす笑い出す。

 

「まあ、他に手伝った教団の末端もいますけれど。盗んだのは我々三人。岩淵さんのお宅、素晴らしいですね。あれだけの宝の山に囲まれながら、お遊戯にも等しい表面的な祭りを死守しているのだから、万死に値する一族だ」

 

 いきなり、星の口調が吐き捨てるように激しくなり、光紀はすっと目を細める。

 

「どういうことだ? 何が気に入らない?」

 

「全部ですよ。お前らは大いなるハスターに仕えるべく選ばれた一族だ。にも関わらず、ハスターへの奉仕を事実上拒んでいる。あんな表面を撫でるような神楽じゃ、ハスターへ捧げるには十分ではない!! いあ!! ハスター!!」

 

 星は熱狂的な目で、星が瞬き始めた夜空を見上げる。

 

「星辰が揃う。大いなるクトゥルフを目覚めさせる媒介者として、ハスターの力はなくてはならない!! なのに、お前ら岩淵一族は、その使命を忘れている。だから、我らが代わりにやってやったのだ!!」

 

 真名が、小さな声で、どういうこと、とこぼす。

 善巳が、思わず星美を振り返り、次いで光紀を見やる。

 

「クトゥルフを目覚めさせる媒介者として……って」

 

 と、星美がくすくす笑い出す。

 

「ねぼすけさんとハスターちゃんが仲が悪いのは有名だけど。だからこそ、眠りっぱなしのねぼすけさんを、ハスターちゃんなら強引に起こすことができるって、この人たちは言ってるのよ。聖海友愛団では、両方の呪文系統を学ぶ人も多いしね」

 

 ちらっと、光紀が星美を見やる。

「続けて」と口にする。

 

「この地球そのものをゆりかごにしているようなねぼすけさんと、ハスターちゃんを両方召喚して暴れさせたら、地球そのものはどんなことになるのかは、言うまでもないわよね? この人たちは、それを実行しようとしているのよ」

 

 そのためには、この人たちは手段を選ばないわ。

 星美はそう告げると、いきなり浄衣姿のまゆみが、目を輝かせる。

 

「ね!! 神様に会いたいって思わないんですか、お姉さん。私は思いますよ!! だから、神様の娘のお姉さんに会った時、すっごく興奮しました!!」

 

 にこにこして、素敵な映画の感想を友人と共有しているような調子のまゆみに、善巳も真名も、光紀までいささか面食らっている。

 平然と面白がっているのは、星美だけだ。

 

「ああ、お姉さん。『聖海友愛団』に入りませんか? なんでケーサツなんかに使われているんですか!? あなたが団に来てくれたら、すっごいことになりますよ!! しょっぱいケーサツに顎でこき使われるとか、バカみたいだって思いません!?」

 

 どう考えてもお嬢様育ちの高校生が口にするような内容ではない過激思想を撒き散らしつつ、まゆみは星美の方に一歩踏み出そうとする。

 

「そうかもね」

 

 星美はさらっと応じ。

 

「でも、あなたが崇めている人、あなたが思っているほど都合よくはないと思うわよ?」

 

 星美の言葉が終わるのと同時に。

 

「あああああああああああぁぁあぁぁぁああああぁっ!!!!」

 

 絶叫を上げたのは、俊である。

 いや、すでにそれは「加津間俊」ではない。

 

 黄衣をまとった全身が、ねじられた粘土みたいに引き延ばされていく。

 頭頂部が今までの倍にもなる。

 黄衣の面積が増えていく。

 光紀が息を呑む。

 

「こいつは……!!」

 

 あっという間もない。

 加津間俊を食い尽くして顕現した「黄衣の王」は、すぐ目の前にいたまゆみの頭を握り潰す。

 唖然としていた星は、黄衣の王が振り向きざまにすでに衝撃波となった風に追突される。

 声もなく、星は砕け散る。

 

『我が子よ。指輪は使ってくれているようだな』

 

 光紀に向かって、「黄衣の王」は、嗜虐的な笑いの籠った声で語りかける。

 既にその声は聞き覚えのある俊の声ではない。

 

「ええ。助かっていますよ、邪神ハスター」

 

 光紀は、冷静な、だが闘志を底に秘めた声で応じる。

 手にした「ハスターの銃」がいつにも増して重いように思えるのは、気のせいか。

 

『世のはじめから贖われている我が子よ、その力を十分に発揮せよ。それが我が願いだ』

 

 相変わらず笑いを含んだ声に、光紀はの背中に汗が伝うのは、暑さのせいだけではないであろう。

「ハスターの銃」でハスターその人を撃ったらどうなるのか?

 わからない。

 

「あなたの狙いは何だ? 何故この指輪を俺に与えたんだ?」

 

 黄衣の王は、くつくつと笑い。

 

「用がある時には、いつでもこの父を呼ぶが良い、我が子よ」

 

 けたたましい笑い声、目を開けていられないほどの風。

 光紀は、一瞬だけ顔を覆い。

 次いで目を開けた時には、目の前には二つの死骸が転がっているだけであった。