17 テケリ・リ! テケリ・リ!

「ねえ、みんな」

 

 それまで静かにしていた星美が、不意に声を上げる。

 何か妙な心持ちがして、声をかけられた光紀、真名、善巳が星美を振り返る。

 

「お客さんよ。可愛い小鳥ちゃん」

 

 ウフフと星美が笑うのを奇妙に思う間もなく、彼らの耳に別の、奇怪な声が届く。

 

 テケリ・リ!!

 テケリ・リ!!!

 

 善巳が、きょろきょろと周囲を見回す。

 

「え? あ、合唱部の練習……?」

 

「違います!! この声は……!!」

 

 光紀が「ハスターの銃」を現出させて構える。

 彼の周りにいた、星と俊が、その異様な造形の物品にぎょっとした顔をする間もなく。

 

「えっ……えっ……何あれ何あれ!!」

 

 まゆみが興奮した声を上げる。

 廊下の曲がり角手前、階段の降り口。

 そこから、「何か」が這い出して来る。

 

 どろりと濃い緑色。

 人間を丸ごと飲み込めそうな大きさ。

 二体いるように見える。

 表面に人間の腕のようなもの、ウミユリの花弁に似た触手状のものを幾本も生やせていて、それがまるで風になびいているようにわらわら蠢いている。

 その下の、原形質の塊の下部にある、まるで軟体動物の胴体のような部分から、人間のそれに似た、しかしあり得ない大きさの「口」が見えている。

 それが開いて、まるで光紀たちに呼びかけるように。

 

 テケリ・リ!!

 テケリ・リ!!!

 

 星は一瞬唖然としていたが、すぐに我に返ったようだ。

 俊と、まゆみを強く引っ張る。

 

「逃げるんだ、ここから離れなさい!!」

 

 光紀は、彼らを庇うように、その原形質の生き物との間に立ち塞がる。

 

「先生!!」

 

「小鳥ちゃんたち、なんでこんなところにいらっしゃるのかしらねえ? 不思議よね?」

 

 星美がまるで世間話みたいな口調で話すのと同時に、その繊手の先から、虹色に輝く「万物の素なる糸」が迸る。

 複雑な軌道を描いてその生物に迫った糸は、一瞬にしてその生き物を寸断する。

 細切れにされる寒天の儚さで、その生き物は細かくなり、黒く変色してリノリウムの床にぶちまけられる。

 

「ショゴス……この石が呼んでいるのか……」

 

 こちらも淡々と口にした光紀が、その生き物の名前を呼ぶや、「ハスターの銃」の引き金を引く。

 仲間の死骸を乗り越えようとしたもう一体のショゴスが、まるでダイナマイトでも埋め込まれていたように爆発四散する。

 ばらばらと人間の腕の先を模した器官や、ウミユリ状の器官が飛び散り、更に細かくなって四方八方にばらまかれる。

 

「なっ……何スかこれ!! 何で学校にこんなモンが出るんスか!?」

 

 善巳が悲鳴のように叫ぶと、いきなりその背を、誰かが叩く。

 

「八十川さん!!」

 

 光紀が思わず叫ぶ。

 振り返った善巳の背後に、恐らくこの学校の生徒らしき男子が立ち尽くし……いきなり、その上半身が裂ける。

 内部は、掌くらいはある牙が生えた、巨大な縦の口。

 緑色のそれは、変形したショゴス。

 

 ぼぅっ!!

 と炎が燃え上がる音がする。

 善巳のボディガードたる炎の精が、ショゴスに突進して一瞬で燃え上がらせたのだ。

 立ち上がった人の形をしていたショゴスは一瞬で頽れ、見る間に灰になっていく。

 

「ショゴス……っていうんですか、今のどろどろ。この石に刻まれていた生き物? なんで急にこんなところに入り込んで」

 

 真名が青ざめた顔で口にした時。

 

「宇津木さん!!」

 

 光紀が鋭い声で警告する。

 彼の視線は、上を向いている。

 

 はっと、真名も頭上を振り仰ぐ。

 校舎の真新しいクリーム色の天井に、緑色の何かがべったりへばりついて……

 

 大きな何かが落ちてきて、真名を覆い尽くす……とはいかない。

 

「行け!!」

 

 短い声に従い、どこからともなく現れた星の精が、下からショゴスを突き上げるように襲い掛かる。

 数体の星の精にたかられたショゴスは、見る間に縮んでいく。

 星の精が、血液ではなく、ショゴスの原形質を吸い上げているのだ。

 

 あっという間もなく、ショゴスは星の精に吸い尽くされて、染みも残さず消える。

 

「あらあら、これで打ち止めみたいね?」

 

 星美がくすくす笑う。

 

 真名と善巳は、周囲をまだ警戒する。

 光紀は、星教諭とまゆみ、俊の傍に、銃を構えたまま近づく。

 

「怪我はありませんか?」

 

「あっ……私は……みんなは……」

 

 星に視線を向けられて、まゆみはぼうっとした視線で、俊も頼りない仕草で、首を振る。

 

「え……スライムが本当に出て来た……? え? 使役できるんじゃないの……?」

 

「神楽を踊ると何かあるって、ああいうこと……?」

 

 流石にこんな時でも怪しげな話を手放さないまゆみも大したものだが、俊は自分の活動と、さきほどの襲撃を結び付けたようだ。

 

 光紀は、ふうっと溜息をつく。

 どう説明したものか、あるいは説明せずにいるべきかが悩ましい。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「さて、これでよしっと」

 

 星美は、ガラスケースから取り出された石の柱に、自らの指先から出る糸を巻き付けている。

 黒っぽい石の表面に、きらきら光る虹色の筋。

 

 背後にいるのは、光紀、真名、善巳だけ。

 ショックを受けた大槻まゆみと加津間俊の事情聴取は中止、星教諭は部室で待たせてある。

 光紀の「ハスターの銃」の発射音は、ハスターの操る風により、外には漏れない仕組みである。

 ショゴスの残骸は、星美がいつも通りに処理済だ。

 

「これで『封印』は完了。こうしておけば勝手にこの暗黒遺物がショゴスを召喚することはないわ」

 

 光紀が、星美に近づく。

 

「先生。この遺物を操って、ショゴスを呼び出した誰かがいるはずです。誰かわかりますか」

 

 星美はヴェールの下で首をかしげる。

 

「眠っていた『遺物』を活性化できるなら、間違いなく魔術師。そもそも、なんでさほど大きくないこの遺物を学校の敷地内から掘り出せたのかしらね?」

 

 光紀は、はっとした表情で、何かを思い返していたのだった。