14 疑惑の教師

「驚きましたよ。急に海が目の前に広がってたんですから」

 

 真名は、光紀の実家に戻る車の中で、盛大にため息をつく。

 相変わらず光紀が運転席、善巳が助手席、そして、真名は星美と並んで後部座席だ。

 

「しかも、そこ寒いんですよ。昼間だったですけど、気温は、なんていうか春先くらいなんじゃないかなあ。誰もいない岬で、見下ろすと崖があって海が……どうなってるのかしらって」

 

 星美がくすくす笑う。

 

「そりゃあ、寒いわよ。だって、あそこって南半球のニュージーランドよ。確かに今の季節は春先よ。子猫ちゃんの薄着では、寒いはずだわ」

 

 言われて、真名は自分の衣服を見下ろす。

 ベージュの上下のサマースーツに、中は半そでの水色と白の縞模様のカットソー。

 確かに、あのまだ冬の気配を多分に含むあの岬の風は、薄い生地を貫通して肌を刺していたのだ。

 

「でも、良かったッスね、相馬先生のお陰で、すぐ日本に戻って来られて。あのナントカの逆角度ってやつ、下手すると宇宙に放り出されるとかなんでしょ?」

 

 善巳が怖気を振るった顔である。

 真名はああ、とうなずく。

 

「宇宙に放り出されるのに備えて、あの甘いお酒みたいなものを下さったですからね、先生。結果として地球上で、すぐ相馬先生に迎えに来てもらえたので、甘くて美味しい思い出が残っただけだったので、まあ……」

 

 それを聞いて、星美が更にくすくす笑い。

 

「『黄金の蜂蜜酒』っていうのよ、あれ。あれを飲んでおけば、宇宙空間でも平気。後でみんなに配るわね」

 

 と、光紀がバックミラーの中から、星美を睨み据える。

 

「相馬先生。あなたは黄金の蜂蜜酒を製造できるということですね? なら、この件が終わったら、その蜂蜜酒を警視庁異象捜査課の捜査用消耗品として納入してもらいますからね」

 

 有無を言わせぬ口調で、光紀は星美に言い渡す。

 

「先ほど、本庁の上司に、黄金の蜂蜜酒について報告しました。その上司から、異象捜査課の捜査用消耗品として一定量を納入してもらうように話をつけてくれと。もちろん、断らないでしょうね、先生。あなたに選択の余地などないことはおわかりですよね?」

 

 真名と善巳は、あまりに横柄な言いようにドン引きし、当の星美はけろけろ笑っている。

 

「そのオチはわかるわよ、岩淵さん。断ったら、酒類密造の罪で引っ張るって言うんでしょう?」

 

「そういうことです」

 

「黄金の蜂蜜酒はどぶろくじゃないわよ。日本の警察って、本当にみんな岩淵さんみたいに固くて可愛いわよね。まあ。いいわ。消耗品として警視庁に納入の件は了解したわ。それにはまず、この件を終わらせないとね」

 

 星美はくすくす笑う。

 

「さて、あの館長さんが犯人とも思えないわよねえ。本気であわあわしてらしたもの。あれが芝居なら、ちょっと素人でないってことになるけれど。栽松さんのお兄さん、池垣館長さんと調べてきて、残るは……」

 

「……こちらも疑うのが気が引ける方々ですが……私の高校の後輩たちと、その顧問の教師。今年黄の王役を演じるはずだった、加津間俊くん。彼が所属する、郷土史研究クラブの部長の、大槻まゆみさん。そして顧問の星夏生先生」

 

 光紀は、ふう、と短い溜息。

 車は、光紀の実家岩淵家に繋がる、短い橋を渡るところ。

 事件の処理が長引いたのもあって、陽は傾き始めている。

 とはいえ、夏の終わりの長い陽は、まだまだ明るい。

 

「明日、黄幡高校に星先生と郷土史研究クラブを訪ねます。ご同行を……」

 

 光紀が口にし、ふと注意を取られて前方を見据える。

 

「岩淵さん?」

 

「誰か客が来ているみたいですね」

 

 真名の呼びかけに、光紀は怪訝そうに自宅の前の道の脇を見やる。

 道に、片側に寄せて、緑がかった青の軽ワゴン車が停められているのだ。

 

「誰の車だか、見覚えあるッスか? 岩淵さん」

 

 善巳に問われると、光紀はいえ、と否定する。

 

「見覚えのない車ですね。家の者の車ではないのは確かですが、私の記憶にもありません。とはいえ、去年は忙しくて実家に帰省できなかったので、誰の車だかそもそも判断できないのではと言われたらそうでしかないのですが」

 

 光紀は、その車の脇を通り過ぎ、自宅ガレージに車を突っ込む。

 四人は車から降りて、岩淵家の豪壮な門をくぐり、玄関に辿り着く。

 

「ただいま」

 

 家の中に呼びかけながら、光紀は玄関に置かれた見慣れぬ靴を観察する。

 革靴だが、若いデザインである。

 

「おかえりなさい、光ちゃん。今ちょっとお客さんが」

 

 迎えに出て来た、家政婦の田中弘江が、そんなことを告げる。

 

「弘江さん。お客さんて?」

 

 幼い日からこの家で過ごしたのだということを感じさせる、いつもより無防備な声で、光紀が弘江に問う。

 

「黄幡高校の先生なのよ。ほら、お神楽を踊ってくれる子の部活の、顧問の先生。星先生だったかしら」

 

 光紀の目が底光り、真名と善巳は顔を見合わせる。

 星美は、わかっていたようにくすくす笑う。

 

「面白くなってきたんじゃない?」

 

 星美が口にすると、弘江は困惑した表情を浮かべる。

 

「この人のことは気にしなくていいから。俺も先生にご挨拶するよ。皆さんは、部屋に戻っていてください。何かあったらお呼びしますので、準備をしていてくださいね」

 

 光紀が素早く家に上がり、真名、善巳、星美は、離れに続く廊下に向かう。

 

「じゃ、待ってましょうね。ウフフ……」

 

 星美が口にして、いそいそと割り当てられた部屋に戻っていく。

 真名と善巳は、何があったのか判断できず困惑したまま、やはり部屋に戻る。

 彼らを背中に、光紀は客間に向かったのだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「どうも、初めまして。黄幡高校郷土史研究クラブの顧問を務めております、星夏生と申します」

 

 そのこざっぱりした感じの若い教師は、穏やかな物腰で、光紀に名刺を差し出す。

 中肉中背の、くっきりした目鼻立ちのさわやかそうな教師で、文化部というより運動部の顧問の方が似合いそうだ。

 真っ白な歯を見せる笑顔が眩しい。

 グレーのサマースーツ姿で、丁寧に一礼する。

 

「光紀さんは、黄幡高校の卒業生でいらしたのですよね?」

 

 人懐っこそうな笑顔で、星はそう尋ねてくる。

 弘江が出してくれた麦茶を前に、座卓の横に座った光紀は、ええ、とうなずき、ポケットから警察手帳を取り出す。

 

「すみません。私、東京で警視庁に務めておりまして。この度戻って来たのも、帰省ではなくて、捜査のためなんです」

 

「ああ……そうだったんですか、それは失礼を」

 

 星は、目をぱちぱちさせる。

 いきなりのことに明らかに驚いた様子。

 

「星先生。失礼ですが、〇月×日の0時から3時ごろまで、あなたはどこにいらっしゃいましたか?」

 

 光紀がメモを取り出すと、星ははっとしたような顔で、生唾を飲み込む。

 

「もう寝ていたと思います……あの、僕も疑われているってことなんでしょうか?」

 

 困惑しきりの彼に向け、光紀は何者も見逃さない目で、更に質問を重ねる。

 

「星先生は、郷土史研究クラブの顧問になられたのは何年前からですか?」