12 迷いの洞窟

 転げ込んできた「それ」は、中にいる人間たちを見て牙を剥き出す。

 

 赤毛の髪は乱れ、黒に近い緑色と黄土色のまだらのゴムのような皮膚に降りかかっている。

 短い毛に覆われた顔は、犬のそれのように鼻面が長い。

 手足の先にも汚らしい毛が生え揃い、とどめに、その手足の先は馬のような蹄だ。

 

「グールか」

 

 光紀が冷たく口にするのと、奇怪な銃声は同時。

 

 ハスターの風の力が籠った弾丸は、屈んだグールの下あごから胸を吹き飛ばす。

 左腕も胴体からちぎれ飛んだグールの体が、入口の扉に叩きつけられる。

 

「うあっ、ひっ、ああっ!!」

 

 それを目の当たりにしてしまった池垣がのけそって転びそうになるのを、いつの間にか彼の背後に来ていた星美が支える。

 

「あら、大丈夫、館長さん? 私たちといれば、あなたが危ないことはないのよ?」

 

 まだ断続的な悲鳴を上げ続ける池垣の後頭部に、星美の虹色の糸が触れる。

 と、池垣の悲鳴は収まり、はたと正気に戻ったらしい彼の目に光が戻る。

 

「あ……ああ……びっくりした……どうしたんだ、この犬は何だい、光ちゃん?」

 

 池垣は思わず、光紀に問いかける。

 光紀は、「ハスターの銃」を構えたまま、無残な有様になったグールを見据え。

 その背後にも目を移す。

 

「おかしなことになりました。閉じ込められましたね」

 

 光紀の声は冷静に聞こえたが、その視線の先にあるものは、到底落ち着けたものではないのだ。

 

「ひぇっ、これ何スか!? えっ、石の壁? 砂!?」

 

 扉の向こうに広がっている、赤茶けた石の壁と、パラパラ落ちる砂に、善巳は目を白黒させるばかり。

 

「あ……これってまさか、本にも書いてあった、空間を入れ替えるってやつ……!?」

 

 真名は現在学習中の魔術書で、心当たりのある記述を思い出したようだ。

 差し込む光は確かに今まで通って来た資料館の壁の厚い建物とは異質。

 天井からまだらに射して、その間をぱらぱらと砂がこぼれる。

 むわりと鼻をくすぐる、乾いた石の匂い。

 

「どうしよう……私の今の腕前で、元に戻せるのかなこれ……」

 

 真名は、思わず魔術書をめくる。

 

「今の子猫ちゃんの時空間術のレベルでは無理よ。これやったの、人間の誰かじゃなくて困ったちゃんだもの」

 

 しれっと、星美はそんな風に断言して、ひらひら手を振る。

 光紀がすっと目をすがめて、外の石壁を見やると、星美に目を向ける。

 

「相馬先生。ここから出られますか」

 

「困ったちゃんが作ったものなら、まず間違いなく元の空間に戻る仕掛けをどこかに置いてあるはずね。それを探しましょう」

 

 星美は、ヴェールに覆われた顔を池垣に向ける。

 

「ただ、こちらの館長さんを連れて行かないといけないのがネックといえばネックね。さっきのわんちゃんみたいな人が、この洞窟の中にはたくさんいると思うわ」

 

 星美が口にした先から、遠吠えにも似た、獣の叫びが遠くから殷々と響いて来る。

 光紀はうなずき、真名と善巳に顔を向ける。

 

「池垣さんを護ってここを出る隊列を組みましょう。宇津木さんは、私の隣に来て、星の精を出して戦闘に備えてください。八十川さんは、相馬先生と一緒に、背後で池垣さんを護ってください」

 

 真名、善巳が顔を見合わせる。

 

「それしかないですね……」

 

「俺が呼んで、上手いこと来てくれるッスかねえ、あの燃えている人たち」

 

 真名は、魔術書を広げて、低く呪文を唱える。

 彼女たちの目にははっきりと、あのグロテスクな星の精が、都合四体ほど姿を現す。

 

「ひぇぇっ……何だい、何か変なモノが」

 

 池垣が、そのうすぼんやりと幽霊のように彼の目には見えるそれにぎょっとする。

 

「大丈夫です、池垣館長。私が制御している、まあ、ボディガードみたいな生き物です。館長さんをお守りしますから」

 

 真名が凛とした声でそう宣言し、星の精たちに、さあ、並んで、と命令する。

 星の精は猟犬の一群のように、主である真名の前に一直線の隊列を組む。

 女の笑いのような奇妙な声と共に、それは周囲を警戒しはじめる。

 真名は完全に彼らを魔力で制御しているようだ。

 

「あわわ、来てくれない、どうしたらいいんスか……」

 

 善巳がおろおろしているのを見て、星美は彼の肩に手を置く。

 

「この際、遠慮していてはダメよ。本当に怖い、という感情を、あなたを護っているクトゥグァに伝えるの。『助けて』って、心で大声で。子供の頃、迷子になって怖かった時みたいに」

 

 善巳は、どうなってしまうのかわからない、寄る辺ない心細い気持ちを強く念じ、自分を護っているであろう何者かに送り届けようとする。

 うお座のフォーマルハウトにいますであろう、炎の神。

 周囲は焼き尽くしたが、何故か自分だけは助けた、恐るべき守護者に、今、恥も外聞もなくすがるしかないのだ。

 

 ぼぅっ!!

 と空間が音を立てる。

 

「ああっ!! 来てくれたッス!!」

 

 白く燃える炎の精霊が二体、善巳の体の周囲に付き従う。

 善巳は安堵と共に、よろしくお願いするッス、と口にして、池垣を呼び寄せようとする。

 

「さ、行きましょう、館長さん」

 

 星美が、虹色の糸で、池垣の周囲を取り囲むようにして護り、光紀と真名の背後につく。

 更にその後ろを、炎の精で護るのは、善巳だ。

 

 星の精の一団。

 光紀と真名。

 星美と池垣。

 善巳と炎の精。

 の順番で、彼らは隊列を組む

 

「さて、行きましょうか。この妙な空間が、あまり広くないことを祈りましょう」

 

 光紀が、銃を構えたまま、真名と並んで、部屋を出る。

 隊列のままに、星美と池垣、そして善巳が続く。

 

 そこは、洞窟の中なのに明るい空間である。

 通路状になっており、幅は5~6mほど。

 頭上を見上げると、数十mほど上に、青空が広がっている亀裂が見える。

 洞窟というより、谷底なのだと、全員が気づく。

 

「なあ、何だいここ!? 資料館じゃないのか!?」

 

 すっかり混乱した池垣が震え声で問いかけると、光紀が一瞬だけ振り向く。

 

「誰かが、こういう悪戯をしたんです。すぐ表に出られるはずですから、落ち着いてついて来てください」

 

 頭上から、ぱらぱらと砂が落ちてくる、恐らく砂漠の谷底。

 じゃりじゃりする足元の岩を踏みしめながら、進んだその時。

 

「来た!! 行け!!」

 

 真名が、星の精をけしかける。

 光紀が、「ハスターの銃」で、その人影を狙い撃つ。

 

 それはまるで、砂が人の形を取ったような。

 妙にぎょろぎょろした、魚のような目と、尖った大きな耳が目立つ。

 変なバランスの長い手足で岩と砂を蹴って近づいて来る。

 五体ほどの群れ。

 

 決着は瞬時。

 

 光紀の落ち着き払った見事な銃撃が、先頭の砂人間を吹き飛ばす。

 星の精がそれぞれ一体ずつに見えざる牙を食いこませたようだ。

 跳ねながら近づいて来た砂人間は、喉笛を搔き切られたのか、無言で絶命する。

 

 静まり返った谷底で、光紀たちはその襲撃者をよくよく確認する。

 

「これは……確か」

 

「……『砂に棲むもの』(サンド・ドゥエラー)ですね」

 

 真名がそれを見下ろし、光紀がおかしな色の血肉を飛び散らせた死体を足でつつく。

 

「アメリカ南西部の砂漠などに主に生息しているクリーチャーです。そこと空間を繋げたのか、それとも完全な異空間なのか……。ともかく、進みましょう」

 

 池垣が真っ青になっているのを、星美がぽんぽんと背中を叩く。

 

「大丈夫よ、館長さん。私たちは全員、こういう修羅場はくぐっているのよ。ねえ、岩淵さん?」

 

「ええ。池垣さん、安心してください。すぐ出口を見つけます。相馬先生、池垣さんに傷の一つもつけないでください。八十川さんも、お願いします」

 

 その時。

 鋭い悲鳴じみた叫びが、遠くから聞こえたように思えた。