6 語られる真実

「世の中には」

 

 光紀は、上着の下のホルスターから、拳銃を取り出す。

 銃器にさほど詳しくない真名の目にも善巳の目にも、それが自動式の拳銃であることが識別できる。

 ぎょっとした二人の前で、光紀はおもむろに安全装置を外す。

 

「普通の人間には理解できないことがある。無理やり理解しようとしたり、させられたりするなら、精神が死滅する以外にないようなことが。世の中にそんな廃人を増やさないために、宇津木さんがご経験なさったような、ある種の言論統制があるのはやむを得ないことなんです」

 

「岩淵さん……?」

 

 真名はいつもと明らかに様子の違う光紀に、思わず立ちすくむ。

 善巳はただならぬ雰囲気に顔を硬直させたかのように光紀を見つめ、翻って星美はリラックスしているようだ。

 何が口にされようとしているのかわかっているように。

 

「この宇宙には、人間の想像を絶した『何か』が存在します。あらゆる人間の認識の外側にあり、およそ人間が割り出した法則になんぞ従わないような者たち。いや、奴らがその法則を作り出したって言いますから、奴らとしてはおもちゃを振り回しているようなものなんでしょうね」

 

 真名と善巳は顔を見合わせる。

 口を開いたのは、善巳である。

 

「あの、岩淵さん……? 何を仰っているんスか? 『何か』って……?」

 

 光紀は、鎖の外された門扉を、大きな音と共に引き開けてから振り向く。

 

「何でも、そいつらはいわゆる『神』なんだそうです。でも、私たちが面白おかしい神話で目にするような、あんな人間味溢れる可愛らしい存在なんかでは断じてない。本物の『神』という奴らは、ありとあらゆる想像を超えている。人間性なんかどこにもないんです」

 

 善巳と真名は再度顔を見合わせる。

 光紀が何を言おうとしているのかがわからない。

 構わず、光紀は続ける。

 

「奴らの関わった事件を、我ら異象捜査課では『クリーチャー事件』と呼んでいます。奴らの手先の、クリーチャーと呼ばれる怪物が事件を引き起こすことが多いからですね。……今回みたいにね」

 

「付け足すと、あの『星の精』自身は神ではないわよ。ああいうのを、あなた方はクリーチャーって呼んでいるみたいね」

 

 しれっと、星美が口を挟む。

 光紀がちらりと振り返る。

 

「そうです。神と呼ばれる連中や、そいつらに近い存在は、『神話的存在』なんて呼ばれてますね。こいつらはね……。まず人間には太刀打ちできないんですよ。で……」

 

 ぞろりと、光紀が振り向く。

 

「相馬先生。あなたは、クリーチャーですか? 神話的存在ですか?」

 

 いきなりのことに、真名は立ちすくみ、善巳は視線を光紀と星美の間に往復させる。

 クリーチャー?

 自分の命の恩人が、あの血を吸う化け物と同じだというのか。

 

「あらまあ、ずいぶんあけすけな質問だこと」

 

 星美は、口元に手を当ててけろけろ笑い出す。

 

「笑い事ではないです。先生」

 

 いきなり。

 光紀が、安全装置を外した銃を星美に向ける。

 

 凍り付く空気。

 真名も、善巳も言葉を失う。

 

「答えてください。あなたは、クリーチャーですか? 神話的存在ですか?」

 

 光紀が、引き金に指をかけて力を込めようとするのが見える。

 真名は止めなければという心と裏腹に体が動かない。

 何年も記者をしてきたとはいえ、本物の銃が生きている人間に向けられるのを至近距離で目撃するのなぞ初めてである。

 

 ……人間?

 

「そうねえ」

 

 全く焦ったところのない間延びした星美の声が、真名の精神を落ち着かせる。

 まさに今弾丸を装填した銃を突きつけられているというのに、星美の様子には動揺の色がみられない。

 気安い様子でたたずみ、緑の香りでも楽しんでいるように。

 表情はヴェールで見えないものの、それ以外のあらゆる情報が彼女の脱力感を伝えている。

 

「あなた方の分類で言うなら、後者の方だと思うのだけど。少なくとも、私には目的があって、それを遂行する程度の頭はあるわよ。本能に逆らえないような連中と一緒にされるのは心外だわね」

 

 光紀が、すうっと目を細める。

 

「神話的存在ですか。なるほど。なかなか大物に出会えたものだ」

 

 まだ銃を下ろさない光紀にどきどきしながら、それでもいくばくか冷静を取り戻した真名は、彼らのやり取りを反芻する。

 

 相馬星美が、神話的存在。

 神と呼ばれるような存在?

 あるいはそれに近い存在?

 

 途方もない話のようだが、妙に納得させる話でもある。

 だが、だとしたら彼女はどんな神、もしくはその関係者なのか?

 ……蝶?

 

「では別の質問を。相馬先生、あなたの仰る目的とは何ですか?」

 

 光紀はまだまだ銃を下ろさない。

 流石にかなり特殊な部署の刑事だけあって、構えが慣れている。

 この人、相馬先生が何かおかしなことしたら、本当に撃つ気なんだ。

 真名は存在を主張する自分の心臓を意識しながら、どうしたらこの事態を収められるか思考を巡らす。

 ……やはり、どう考えても、光紀に納得してもらうしかなさそうだ。

 彼は私情で行っているのではなく、仕事なのだ。

 異象捜査課という部署は、まさにこういう対応を許されているのだろう。

 

「私の当面の目的は、魔術書『妖蛆の秘密』の回収。そして、ふさわしい新しい持ち主に託すことかしら」

 

 休日の予定を訊かれたので答えた、とでも言うように、星美はさらりと応じる。

 

「新しい持ち主として、白羽の矢を立てたのは、こちらにいる宇津木真名さんよ。彼女には素質がある。魔術書をマスターする素質がね? ……魔術書に『食われなければ』の話だけれど」

 

 真名はぎょっとする。

 魔術書に食われる?

 

「えっ……魔術書って、人間食うモンなんスか!?」

 

 今まで恐怖で黙り込んでいたのであろう善巳が思わず叫ぶ。

 

「食うわよ? 下手になんの準備もなく読んだりすると発狂することもあるしね? 恐らくだけど、この家に住んでいた前の持ち主っていう人は、きっと魔術書に『負けて』、もう魔術書の主人とは言えなくなったのね」

 

 星美があっさり肯定して、真名が目を白黒させる。

 ちょっと待ってほしい。

 

「あっ、あの、相馬先生、そんなものを私に……」

 

 真名は思わず抗議するが、返って来たのは、軽やかな笑い声。

 

「大丈夫よ、あなたには素質があるって言ったでしょう? 私も助けるしね。とにかく、あれは誰かが今おいたしている人から取り上げてまっとうに使うようにならないと、あの『星の精』は永遠に暴れ回っているわよ」

 

 真名ははっとする。

 あの怪物ども。

 

「……『星の精』を大人しくさせておくためにも、私が新しい魔術書の所有者にならないといけない……ってことですか?」

 

「そういうこと。あなたがあの怪物どもの新しい主人になるの。星の彼方で大人しくしていろと命じれば、彼らはその命令に従うでしょう。あなたの命令にね?」

 

 星美が断言し、真名は、どうにか生唾を飲み込む。

 まさかの事態だ。

 自分が一連の事件を収拾できる?

 

「わかりました。行きましょう、お三方とも」

 

 不意に、光紀が銃を下ろす。

 ちらと廃墟に目をやり、

 

「あのクリーチャーを制御できる可能性があるのが宇津木さんだけだというのなら、是非ともそうしてもらわなければならない。申し訳ないが、宇津木さんがお嫌だと仰ってもご協力いただきます。これは人間社会の危機ですからね」

 

 光紀が暗く底光りする目で真名を見据える。

 真名はピンとくる。

 彼にとっては仕事だというだけでなく、恐らく今も生々しい傷となっている、同僚の破滅の始末を、何とかつけたいのだ。

 同僚の精神の死を無駄にしたくないのだ。

 どうにか自分の力の及ぶところで決着をつけたいに違いない。

 

「あ、あの……相馬先生? だとしたら、宇津木さんだけではなくて、俺たちを呼んだのは何故なんスか?」

 

 善巳が、たまりかねた調子で疑問を口にする。

 星美はくすくすと。

 

「あなた方も必要だからよ。あなた方はああいうもの……クリーチャーや、神話的存在と、これからも対峙しなければいけない運命にある。刑事さんは、そもそもそういうお仕事でしょう? 獣医さんは……まあ、記憶はあやふやみたいだけど、傷跡は残ってるみたいね?」

 

 善巳がはっとしたように、右ほおの傷跡に触れる。

 

「俺は……」

 

「そろそろ行きましょう。暗くならないうちに始末をつけるのが、あなた方のためよ。社会のためでもあるわね?」

 

 ぎしぎしと錆びた門扉が軋む音。

 光紀が、扉を開いている。

 

「皆さんは、私の背後にいてください。私が先頭を務めます」

 

 もはや緑の層に埋もれた廃墟の庭に。

 四人は入り込んだのだった。