14 呪われた時へ

「そんな……!! 八十川さん!? 八十川さん、どこですか!?」

 

 真名は薄暗い部屋を見回し、大きな家具の背後を覗き込む。

 当然ながら善巳らしき人影などない。

 

「やられましたね……」

 

 光紀が呻く。

 

「『次元をさまよい歩くもの』にさらわれたのですよ、八十川さんは。奴らはあの護符では防げないんです。奴らは『外なる神』の眷属でも『旧支配者』の眷属でもないのですから。あくまであらゆるものの狭間をさまよい歩くものなんです」

 

 真名は床に転がる善巳のバッグを拾い上げる。

 

「『次元をさまよい歩くもの』……なんですよね? じゃあ、八十川さんはさらわれて異次元に連れていかれたってことなんですか!?」

 

 真名は部屋の真ん中の奇怪な像を見上げる。

 

「どうしたらいいんですか、異次元なんて!? どうやって助けたら」

 

 理論上、異次元というものが存在しているのであろうことは知っている。

 しかし、そこへ到達する手段が発見されたなどという話はついぞ聞かない。

 そんなとんでもないところへ連れていかれた善巳を、どうしたら連れ帰れるのか?

 

 一瞬。

 

「……相馬先生……!!」

 

「相馬先生」

 

 真名の言葉に一瞬だけ先んじて、光紀が星美を振り返る。

 

「あなたなら、次元も移動できるんじゃないですか? 我らを連れて、八十川さんを追ってください」

 

「次元の移動? ええ、得意ねそういうのは」

 

 星美がヴェールの奥でくすくす笑う。

 

「連れて行ってあげてもいいけど。でも、八十川さんの連れていかれた先に何があっても責任持てないわよ? それでもいいの?」

 

「愚問ですね」

 

 さくりと、光紀が返し。

 

「じゃあ、このまま八十川さんを見捨てろと!? そんなことできません!! 魔法を身に着けろって、それじゃなんのための魔法なんですか!?」

 

 真名がまくしたてる。

 

「覚悟があるのね? うふふ、美しい友情だわ。嫌いじゃないわ、人間のそういうところ。時に愚かしく醜く、時に美しく哀れで、無駄と断ずるには、人間の根幹にあまりに関わりすぎるその在り方、ね」

 

 星美は、真名と光紀を手招きする。

 真名は拾い上げた善巳のバッグを抱えて、光輝は拳銃をホルスターに収めて彼女に近づく。

 

 星美の両手の指から、輝く糸が伸びる。

 それが瞬きの間に真名と光紀、そして星美を含んだ空間を取り囲む。

 その輝きの線の重なりが、広がりオーロラのように見え。

 一瞬ののちに、三人の姿はその部屋から消えていたのだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 一瞬、視界の中で色彩が爆発したかのように思えたあと、真名も光紀も気付く。

 凄まじい光量。

 視界が真っ白に焼ける。

 埃っぽいざりざりした風。

 

「!? えっ、なんです……なんですここ!?」

 

 真名は我に返ってきょろきょろと周囲を見回す。

 光紀も、星美もいるのは直前までと同じだが、変わっているのは周囲。

 

「……日差しの強さや空気の湿度からして、かなり低緯度地域に思えますね。……スフィンクスが並んでいる……ということは、エジプトか」

 

 光紀が目を細めて少し離れたところを望みながら推測を述べる。

 真名も気付く。

 そこは、今までいたのとは全く違う場所。

 白っぽい石畳の敷き詰められた、広い参道のような場所だ。

 砂漠の真ん中、遠くに大きな川の煌めきが見えるが、反対側には、白い石でできた巨大な神殿が、黒々と影を落とす。

 

「八十川さんはエジプトにまで……えっ……?」

 

 真名は、すぐその奇妙さに気付く。

 参道脇に等間隔に並べられたスフィンクス。

 通常なら、獅子や羊の胴体に人間の男の顔……というものなのだが、そのファラオの覆い布に覆われた頭部に当たる部分、顔に相当するそこが、「ない」のだ。

 すっぽりとえぐれて、黒い影がわだかまるばかり。

 

「……ニャラルトホテプの数ある姿の中の一つ。顔のないスフィンクス。するとここは……」

 

 光紀が重く苦い声で呻くと、背後にいた星美がきゃらきゃら笑う。

 

「そう。異次元ではないわねここ。古代エジプトよ。時代区分で言えば新王国時代。正確に言うなら……」

 

「『暗黒のファラオ』ネフレン=カの治世下ですね?」

 

 やや強張った声で、光輝が問いかける。

 問いの形をしているが、確認の響きだ。

 

「ファラオ……ネフレン=カって……」

 

 困惑しきりの真名に、渋い顔のまま光紀が向き直る。

 

「『妖蛆の秘密』にも、その存在が記されている、『消されたファラオ』ですよ。死者の書やその他の文献、彼が築いた神殿など、痕跡は徹底的に消されましたから、正式な歴史書なんかにはその名前は残っていませんがね」

 

 真名がぞっとする影の顔を見せて並んでいるスフィンクスの石像を見回しながら、更に問う。

 

「その人、何をしたんですか……? よっぽどまずいことを……」

 

「まずいなんてレベルじゃありませんね。あのニャラルトホテプを崇拝していたんですよ。この参道の脇の、顔のないスフィンクスは、ニャラルトホテプの化身の一つ」

 

 真名はぞっとする。

 最悪レベルの邪神が最大勢力を誇った時代と地域に、善巳は送り込まれたのか。

 

「そうそう、ついでに言うとね」

 

 星美が、またもやくすくす笑い。

 

「そのネフレン=カさんの治世下では、人間の生贄が、公然と行われていたんだそうよ? あまりに大量の民をいけにえにしたから反乱を起こされて王朝が終わったっていう話だったらしくてね? で、八十川さんって、ご無事かしらね?」

 

 真名は真っ青な顔を上げて、巨大な神殿を望む。

 

「……八十川さんはあそこですよね? 早く……!!」

 

「行きましょう」

 

 言うが早いか、光紀は参道の石畳を蹴って神殿に走る。

 真名も慌てて後を追う。

 滑らかなフォームで走る光紀の足は風のように早く、真名はあっという間に置いていかれる。

 それでも何とか追いすがり、神殿に辿り着く。

 

「遅かったわね」

 

 何故かそこに。

 着物姿で彼らの後方にいたはずの星美が、相変わらずまるで着崩れていない涼し気な姿で立っていたのだ。

 神殿の巨大な円柱に寄りかかり、相変わらずヴェールの影を肩から上に落として。

 

「……先生……一体……」

 

 ぜいぜい言う真名と怪訝そうな光紀。

 

「物理的な距離は、私には無意味よ。さて、この奥、誰かいるみたいね?」

 

 星美の言葉に重なるように、か細い笛の音。

 

「なにこれ……笛……? フルート……?」

 

 光紀がホルスターから拳銃を抜き、構えたまま、神殿の奥へと歩みを進める。

 

「宇津木さん、後からついて来てください。相馬先生、援護してくださいませんか」

 

 後半はほぼ命令の口調だったが、星美はくすくす面白そうに笑って、彼のすぐ横に付く。

 

 林立する巨大なパピルス柱の間に差し込む砂漠の白い光。

 その間を縫うように、三人は進み。

 

「……あ……あ……!!」

 

 真名が思わず息を呑む。

 

 そこには、光差す広間で漆黒の翼を広げる巨大な何かと。

 その前の床に、青白い炎に取り囲まれて、へたり込んでいる若い男性の姿。

 八十川善巳が、巨怪と、その周囲のフルートを吹く従者たちに囲まれて、呆然としていたのである。