「あ、どうもどうも。岩淵さん、お元気そうで安心したッス」
「お怪我はもう大丈夫なんですか?」
善巳と真名が、便宜的に取調室に呼ばれ、すでに吊っていたはずの左腕が自由になっている光紀を前に、安堵の胸を撫でおろす。
警視庁の建物の分厚い壁に、穿たれたような窓から午後の日差し。
暑さは多少緩みつつある時期であるが、まだ残暑は厳しい。
「……午前中に、相馬先生をお呼びしたんです」
光紀がむっつりした表情でそう応じる。
「え?」
「あの人凄いですな。流石ヨグ=ソトースの娘だけある。あのきらきらした糸みたいなのでこいつに触れたら、怪我が治ってしまったんですよ」
口を挟んだのは、逆瀬川総一郎だ。
光紀の胸板をぽんぽん叩く。
「……何であの時すぐにそうしてくれなかったんですかと問い詰めたら『労災降りたでしょ?』と。フザけている……」
相変わらずむっつりとしたままの光紀の様子と聞かされた星美の答えに、真名も善巳も苦笑するしかない。
光紀に総一郎を紹介され、真名も善巳も彼とあいさつを交わして、本題に入る。
「実は……お恥ずかしいのですが、私の地元で問題が起こりましてね、奴ら絡みの問題です」
光紀が切り出し、真名は善巳とちらと目を見かわして、首をかしげる。
「岩淵さんの地元……と仰いますと」
「G県の、黄幡市(きはたし)というところなんですが。私の実家というのが、昔はそのあたり一帯の庄屋のようなことをやっていた家で、今でも地主なんですが……」
「へえ。いいところのおぼっちゃまなんスね、岩淵さん」
善巳に指摘され、光紀は苦笑する。
「あまり嬉しくないのですよね。何せ、伝わっているものが伝わっているものです」
真名が、光紀の曇った表情に怪訝さを覚える。
「伝わっているもの? どういうことなんです?」
光紀がかすかに息を吐き、静かに口を開く。
「奴らに関する伝承がある地域なんですよ。『黄衣の王』ってご存知ですか?」
真名も、善巳もその奇妙な言葉に覚えはない。
「いえ……」
「邪神の一柱、星間空間を吹き渡る風の上に君臨する邪神ハスターの化身の一つ。それを称える神楽が伝わっている地域。我が地元は、邪神信仰が根付いている地域なんですよ。大昔から、です」
真名も善巳もぎょっとする。
まさか。
この邪神に殊更厳しい男の地元が。
「邪神信仰が根付いている……って、邪神教団とは違うんですか?」
真名は記者の習い癖で、ぐいぐい質問してしまう。
「土着信仰の邪神信仰は、必ずしも新しい邪神教団のようにアグレッシブではありません。伝統の一種になっていますからね。大体は、元の意味が忘れられて形骸化しています。我が地元もそうなんです。まあ、昔は色々あったようですが」
光紀ははあ、と溜息を落とす。
「いろいろ……」
「昔はいけにえを捧げていたこともあったらしいですが、流石に当時の領主に咎められて、いけにえの儀式は単なるお供えで代用するようになったようです。戦国時代くらいの出来事ですね」
横で善巳がヒェェ、と悲鳴を上げる。
「まあ、こいつの地元の人間が全部ヤバイ人な訳ではないっていうことですよ、お二人とも。そのことでは安心してください」
総一郎が緊張も露わな真名と善巳に、大らかな声をかける。
二人はやや安心できる。
「あの……岩淵さんの地元で何か……? 邪神信仰のある地域で、邪神絡みの事件ですか?」
真名は気を取り直し、更に質問を重ねる。
「……私の家には、ある神楽に関する古文書が伝わっていました」
岩淵は指を組み合わせる。
「『黄の王(きみ)神楽』と呼ばれる伝統芸能なのですが……これは、決して完全な形で舞ってはならないと、固く戒められているもので……しかし、最近になって、その古文書が何者かによって盗まれたらしいのです」
決意を秘めた鋭い視線に射抜かれ、真名も、善巳もははっとする。
「犯人は、まだ地元にいる可能性が高い。宇津木さん、八十川さん。あなた方なら、邪神に対抗できる。一緒に黄幡市に来てくれませんか」