1 岩淵、逆瀬川、そして相馬星美

「ご足労いただきましてどうも、相馬先生。では、事情聴取を始めさせていただきます」

 

 曇りガラスからぼんやり外の光が入り込む、警視庁の建物の一室。

 取り調べ用の机の前に、分厚い壁に埋まっているような窓を背に座っているのは、相馬星美。

 相変わらず、蝶の柄の着物に、頭からヴェールを被っている。

 

 彼女と向き合って座っているのは。

 

「取り立てて、今のところあなたに何か事件の嫌疑がかかっている訳ではありませんので、ご安心を。あくまで様々な事情を伺うのみです。……あなたに、後ろ暗いところがなければ、のお話ですが」

 

「おいおい、岩淵。そんな喧嘩腰でかかるんじゃない。睨みつけるな。それじゃ、話してもらえることも話してもらえないじゃないか。……すみませんね、相馬先生。私は岩淵と組んでいる逆瀬川(さかせがわ)という者です、よろしくどうぞ」

 

 一礼する逆瀬川、不承不承といった岩淵光紀をヴェールの奥から見やりながら、星美はくすくす笑う。

 ちなみに、光紀は左腕を吊ったままである。

 

「初めまして、逆瀬川総一郎(さかせがわそうちろう)さん。お若い頃、ねぼすけさんにだいぶやられたみたいね?」

 

 唐突に星美にそんな言葉を浴びせられ、総一郎は固まる。

 

「え……あの……相馬先生……?」

 

「まあ、あなた自身はご無事で何よりよ。あの金魚ちゃんたちとも親戚じゃないみたいだし。親戚だったお友達は水に帰っちゃったみたいだけど」

 

 総一郎はまさに目を白黒だ。

 この女は何だ。

 何故、「あのこと」を知っているのか。

 いや、そもそも自分は下の名前を名乗っていない……。

 

「相馬先生」

 

 光紀が眼鏡の下で目を光らせる。

 

「質問にだけ答えてください。事情聴取だと申し上げたはずです。刑事のプライベートを暴いてくれだなどとお願いしてはいないはずですが?」

 

 星美はきゃらきゃらヴェールを揺らせて笑う。

 真珠母色の髪がゆらゆら。

 

「あら、でも、岩淵さんたちが訊きたいのは、私が何でこういうことをできるかとか、そういうことなんでしょう?」

 

「そうですね」

 

 光紀は冷淡に応じる。

 

「まずは、その被っているヴェール取って、ちゃんと顔を見せてください」

 

「あら、そんなこと? まあ、いいけど」

 

 星美は、するりと滑らかな動きで、被っている純白のヴェールを取り去る。

 いきなり光紀と総一郎の刑事コンビの目に入る、美しいかんばせと……額の巻いた触覚。

 

「触覚が……」

 

 総一郎が息を呑む。

 本当に、人間の女に見える人物の額から、あの蝶の丸い触覚が生えているのだ。

 明らかにコスプレの類ではない。

 触覚は確かに意思を感じさせる微細な動きを見せており、悪戯っぽい星美の表情に合わせているのがわかる。

 

「御覧の通りです、逆瀬川さん」

 

 光紀が淡々と説明を始める。

 

「この人は人間じゃありませんよ。『奴ら』の仲間です。本人が仰るところに従えば、ヨグ=ソトースの関係者だそうですね」

 

 逆瀬川が息を呑む。

 

「ヨグ=ソトース!? いくら何でも」

 

「そう、まず過ぎますね。ただし、今のところ、この方には、人間を害する理由はないように思われます。戸籍まで作って、人間社会に紛れ込んでいますのでね」

 

 光紀が淡々と解説すると、星美はますます笑う。

 

「大変だったのよ。明治時代、戸籍を最初に作る時に。まさか、お父さんがヨグ=ソトースで、お母さんが滝夜叉姫だなんて書けないじゃない?」

 

 総一郎が目を瞬かせる。

 

「滝夜叉姫……というと」

 

「平将門の娘ですよ。将門は高望王の孫ですから、この人は高望王の玄孫。ということは、桓武天皇の流れを汲む皇族の末裔ですね」

 

 総一郎がヒュッと息を呑む。

 

「こ、皇族……!? 奴らが皇族の中にもいる!?」

 

「そうよ? 私、人間的に結構偉いのよ? 尊敬してくれてもいいんじゃない?」

 

 星美は、両の手で頬杖をついて、光紀と総一郎を面白そうに見やる。

 光紀の表情は変わらないが、総一郎は明らかに青ざめている。

 

「なあ、岩淵……どうしたらいいと思う、この人……」

 

 総一郎はもはやげんなりしている。

 

「今までと変わりませんよ。捜査に協力してもらいます。貴重な話の通じる神話的存在だ。こちらの戦力になってもらわねば困りますね」

 

 光紀は全く表情も口調も変えない。

 総一郎は一瞬難しい顔を見せてから、星美に向き直る。

 

「相馬先生。あなたは、うちの岩淵やジャーナリストの宇津木さんや獣医師の八十川さんなんかと一緒に、魔術書を取りに行かれたでしょう?」

 

 星美は、ええ、と軽くうなずく。

 次の質問を待つかのように。

 

「どうして、そうなさろうと思われたんですか?」

 

 総一郎の質問に、星美は面白そうに笑いを深める。

 

「簡単よ。私たちみたいなのを構ってくれる可能性のある子猫ちゃんは、放っておかないことにしているの、私」

 

 総一郎は意味が取れなかったようで考え込む。

 星美が続ける。

 

「今現在の人間社会では、私たちみたいなのは『存在しない』ことになっているわ。でも、私たちはここにいるのよ。あなた方を常に脅かしつつ、ね。きちんとした対処をあなた方がしないのなら、それはあなた方の命取りだわ」

 

 光紀がすっと目を細める。

 

「要するに……あなた方のような存在と、我ら人間の間のバランスを取りたいと……そういう訳ですか?」

 

 けらけらと、星美が笑い出す。

 

「まあ、そんなところね。私があくまでも楽しい方法でね?」

 

 総一郎が首をかしげる。

 

「……あの……本当にそう思っておられます? 楽しいことをしていたいだけとかじゃないですよね?」

 

 星美はニンマリする。

 

「楽しくないと続かないけど、続けるためには別の努力が必要なんだわ。わかるでしょ?」

 

 ふと。

 星美が声をひそめる。

 

「そうそう。努力といえば……岩淵さん、あなたのご実家のお父さんやお母さんも頑張っていらっしゃるんじゃないの? 久しぶりにお電話してあげたら? 蔵にある怖いご本のお話でもしてみたら?」

 

 岩淵が凝然と凍り付く。

 何のことかわからない総一郎の声も、光紀の耳には入っていないように見えた。